megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ズルイ

つい、身も蓋もない話をしてしまう。
してから、された方が閉口するのを見て、しまった、と思う。
後悔はするが、不思議な爽快感が残っている。多分に性格が悪いのだろう。

零細企業で受託仕事をやっていた頃、元請けの会社に向かう道すがら同僚が言った。
「またITmediaはてなが取り上げられてましたね。自社サービスやってるからですかね」
まだ、はてなのマスコット犬しなもんが健在で、伊藤直也Perlを書いていた頃の話である。
その時、私は機嫌が良くなかった。多分、向かう先の元請けに嫌味の一つも言われようという道のりであったのだろう。
id:naoyaのキラキラした顔を思い出して、意地悪くなって、身も蓋もない事を言いたくなった。

「社長が京大出だからじゃない?」
高学歴のネットワークというものがある。コネがなくても、大学のブランドがある。キャリアをふってベンチャーをやってるなら、そう悪くもない会社なのだろう、と思ってもらえる。
どだいスタートが違うから、最初からある程度の事ができる。ネームバリューのある仕事をとって、テック系メディアにも露出できて、優秀な人が集まって、サービスを育てる余裕が出来る。
もちろんそれなりの運とセンスがないと出来ないことではあるけども。

滔々と語った。
私にしては、留保というものをしない言い方で、対して我が社に、そんな目などない、という意がこもってしまった。

聞いて、同僚はムッとして黙りこんだ。横顔を見ると、そんな事はわかってますよ、とでも言いたげであった。

また違う時、知り合いの若いフリーランスと飲みに行った。「単価が下がって苦しい」という話になった。
railsをやれば、djangoとか、あるいはscalaとか、そういうのが単価がいいんでしょうかね。とそのPHPプログラマは口にした。
私は呆れて「それより営業じゃないかな?」と言った。
彼は意外な顔をした。
エンジニアのフリーランスにエージェントや紹介以外のまともな営業行為などない。
もし電話営業や飛び込みをやってるフリープログラマがいたら、そいつは破産目前だ。
「営業ってどういう?」
と少しは興味を示して言うので、私はしめしめ、とスコッチに浮かぶ氷をくるくると回した。
まず、会社を作る。それで大手広告代理店のOBを役員にするんだよ、出社なんてしてもらわなくていい、彼らに毎月、役員報酬をバラまくんだ。
そのうち、同期のOBが社長をやっている会社に出資しないか、と言ってくる。その会社には、彼らが元いた代理店から高単価の仕事が山ほど降り注いでいるから、下請けとして年に2,3本もこなせば十分食っていける。
「技術を磨くより、確実な方法だよ」
と締めくくると、どこにそんな金やコネがあるんですか、と呆れられた。

誰も口にしない話だから、そこに真実が含まれるのではないか、と考えるのはひねくれた帰結で、皆がそう言ってるのだからそれは真実なのだ、と変わるところのない、ただ浅はかな考えだ。
とはいえ、どちらにも一定の真実が含まれるなら、私は身も蓋もない話のほうが好きだ。それは現実の残酷な一面を強調する。だからこそ、そそられるし、自分の心をいたぶっている時の、積もり積もった業を断罪される時の、ある種の気持ちよさがある。

私の特殊な性癖はさておいて、残酷な現実――世界はエリートと金持ちたちのもので、私たちが浮かぶ手立てはさしあたり存在しない――を前にして、どういう態度を取るか、ということがその人の人生観を決めてしまう部分はある。

いささか旧聞に属する話だが、こういう話があった。

bunshun.jp

この秀逸な記事の最後に、筆者の

その背景にあるものは、一体何だと思いますか。

という問いかけがある。いや、問いかけというより、文中で語られる、情報弱者を搾取する、なんとかサロンとかインフルエンザーのような悪辣な連中の存在を強調する、結びの言葉にすぎなかったのかもしれないし、現代社会のありようへの問題提起なのかもしれない。

だが、私はしばし考え込んだ。そしてまた、身も蓋もない話が思い浮かんだ、というわけだ。

ここまで語ってきたように、今現在、成功していない人というのは、現実を拒否する部分がある。
拒否して、山奥に住みつく仙人よろしく、例えば、年収150万円で幸せに暮らそうと試みる。
しかし実のところ、彼らの心の奥底には、成功への渇望が、マグマのように沸々と脈打つ葛藤やらコンプレックスが、相も変わらず流れ続けている。
薄暗い部屋の中で、豆のスープをつつきながら、お城で開かれる絢爛豪華な舞踏会を想像して、頭を振る。あんなものは自分とは関係がない。と言い聞かせる。でもいつの間にか視線は郵便受けに向かっている。何かの幸運によって、うちにも舞踏会の招待状が来てやしないだろうか、と惨めたらしく偏執がこもった目が、見つめている。

彼らに正式な招待状が届かないにしても、似たような幸運は起こり得る。
例えば仮想通貨とか、何かの連鎖商法のような、王道を歩く者が知ることのない道を、舞踏会に至る勝手口に通ずる奇妙な道を見つけ出すことがある。
実際のところ、ほとんどの人間は勝手口を通る前に、怖い守衛に見つかって追い出されるし、下手を打つと堀に投げ込まれて溺れ死ぬことになる。しかし、勝手口を通るこの生き方の、タチが悪いところは、ごく稀に、10万人に一人ぐらいの割合でもって、「本当に成功する」人がいることだ。

彼は舞踏会に首尾よくもぐりこんで、衣装部屋から盗んだタキシードに身を包み、言う。
「そんなに難しいことじゃない。なんでみんなやらないの?」と。

確かに、彼は特別何かをしたわけではない。一昔前に炎上したことがあったかもしれないが、狙ってやったわけではない。
重要なのはあの時、勝手口に向かったことで、それ以外にさしたることをしていない。

10回以上じゃんけんで連勝するなど至難の業に思えるが、約6.5万人が隣の人とペアを組んで勝ち抜けじゃんけんを繰り返せば16連勝する人が必ず一人出てくる。じゃんけん大会の勝者によれば
「なにより大事なのは、このゲームに参加することなんだ。さあ参加しよう!」

こうして、彼らは勝手口人生に情報弱者たちを誘い始める。手にした大金を使って、今度は本当に「営業」できる立場になって。

はてさて、私はこのような現実で、死ぬまで素朴を貫けるだろうか、と不安になりもする。


私は髪を切ってもらっていた。
美容師に切ってもらうほどの身なりをしていないが、若い時から通っている美容室がある。
「どうですか仕事は」とボサボサになった髪を手にとりながら、担当の若い女性が言った。
私は、なんともクサクサしていて、つい、身も蓋もない話をした。
この世界が、金持ちクラブとごくわずかな成功したバカで成り立っていることを、訥々と語った。

「えー!そんなのズルイ!
鏡を見ると、私の伸び放題の襟足を刈ろうと、彼女はバリカンを構えている。
そうか、ズルイ!か。ズルイで良いのか。と私は思った。
「ズルイよねー」
バリカンの感触を頭で感じながら、私は笑って、ポンチョのようなクロスの下で腹を抱えた。


百 (新潮文庫)

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