megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ある借金の寓話

gendai.ismedia.jp

「自分にはビジネスで多額の借金があります」と言われると、世間ではネガティブなイメージにとらえられるが、私は逆に高く評価する。彼自身に、借金の金額分の信用があったから、お金を借りることができたのだ。
反対に、起業志望者のなかで借金を一切せず、せっせと自己資金を貯めている人がいるけれど、何をしてるんだろう? と思う。信用されていないから借金できないだけじゃないのか。

引用と、直接の関係はないし、的外れな話であることは承知で書く。


私の叔父は愚かだった。
大学を卒業して、そこそこ大きな会社に就職したが、何かの事情でいられなくなって退職すると、その後は職を転々とした。

ある時、営業として働いていた叔父は、ノルマを達成できなかった罰として、法外な違約金を会社から要求された。
今の常識から考えると、会社ぐるみで仕組まれた、明らかな詐欺ではあったが、そういう事を平然と行う者がいて、被害を受けた側もそれと気付かず、司直に頼ることなど思いもよらず、ただ青ざめるしかない、そういう時代だった。
叔父は困り果てたあげく、ほうぼうから借金をした。私の父も相当な額を用立てたらしい。

借金の相談をする時は必ず、叔父は自分の子供を連れてきた。
父と祖父と叔父が深刻な顔で話し合いをしている間、叔父の子どもたちは、従兄弟である私たち兄弟と仲良く遊ぶという算段なのだ。

叔父の子供は兄と妹の二人だった。彼らと口を聞いた記憶がまるでない。
彼らはやって来ると、何も言わずに私たちのゲーム機の前に座って、一心不乱に兄妹でゲームを始めた。
マリオが跳ねまわっているブラウン管テレビの前で、私たちのほうを振り向きもせず、歓声も上げず、黙々とコントローラーを握りしめている彼らの後ろ姿が記憶にある。

相談が首尾よく終わると、叔父は上機嫌になって、我が物顔で居間に鎮座して、缶ビールをぐびぐびと飲み干した。
酔っぱらうと「金は天下の回り物だよ」とよく口走った。
私の父は叔父と距離を置くようになった。

それから、叔父は何かの商売の種を見つける度に、父のいない時間に祖父を尋ね、金を引き出そうとするようになった。
その度に、祖父は困った顔をして「アパートの管理人でもなったらどうか」などと忠告するのだが、いつの間にかほだされて、金を出してしまうのだった。

叔父の事業が上手くいったという話を聞いたことがない。
やがて、叔父一家とは連絡がつかなくなった。

ある日、居間でテレビを見ていると、電話がなった。
電話を取った父の顔つきが変わって、私は、何となく叔父のことだろうと察した。
受話器から聞こえる居丈高な声と、父の返答から、借金取りが私の家に電話をかけてきたのだということがわかった。
祖父も、幼い私も、まるで恐ろしい化物が今にも受話器から飛び出してくるかのように、固唾を呑んで体を縮こませた。
父はそうした沈黙の中で、相手の言い分を黙って聞き、ようやく口を開いて
「兄とは不義理がありまして」
と言った。
その言葉を発する時の、ぎりぎりと愛憎を振り絞るような父の表情を私は今でも覚えている。


そういう事があったからなのか、私は大学を中退しても、サラリーマンになることにした。
実際はともかくとして、リスクとは無縁に、ただ、毎日を労働に費やすというだけで、きちんと報酬が支払われて、生計をたてることができる、ということが最初の給与が振り込まれた時に実感として呑み込めて、私は深く安堵した。
ひとまずお前は生きていて良い、と社会に認められたような気分になった。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本があることを、私は大分後になって知ったが、日々の勤勉が、資本主義的な経済活動というよりは、むしろ祈りや信仰に近いことを私はずっと前からわかっていたような気がする。

諸々があって、私はその後、なんとなくフリーランスとなって、つまりは個人事業主をかれこれ10年はしている。

それでも、金のやり取りであるところの「商売」に、どうにも慣れないままでいるのは、少しでも欲張ったり、悪い連中にひっかかると、あの恐ろしい「借金」とやらを背負ってしまうのではないか、とつい考えてしまうからで、信用拡大だとか、リスクヘッジだとか、客観的な数字として借金というものを扱えるようになっても、それは変わることがない。
私は今でも、貧乏が、借金が、借金取りが、それらがもたらす心の底にまで染みだし行くような真っ暗な影が、心底恐ろしい。


祖父と父が亡くなってしばらくして、叔父も死んだ。

近親者だけの小さな葬儀が行われた。
従兄弟の妹は来なかったが、兄のほうが神妙な顔で公民館の小さな控室に座っていて、喪服を着た私に気づくと、懐かしそうに「お互い歳をとったね」と言った。

叔父の借金は死ぬまで残っていたようだ。

おかげで甥である私も相続放棄の手続きをしなければならなかった。

迷惑といえばその程度のことで、私は叔父をどうこう言う気にはなれない。
ただ、かつて親戚づきあいをした、叔父や、その子どもたちの姿を、在りし日に見た、どこか陰りを宿した風情を思い出して、胸を突き刺すような虚しさを覚える。

返せない借金というのはそういうものだ。
どう言い繕おうとそれは変わらない。


借金問題 解決バイブル

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