megamouthの葬列

長い旅路の終わり

経営者についてのとりとめのない回想

経営者の物語を書きたいと思った。
「取材」をしようと思い、経営者の書いた本と、経営者を主人公にした小説を幾つか図書館で借りてきて読んだ。

私はそこに孤独が書かれていると思っていた。

出資を受け、または個人保証で金を借りてハイリスクな勝負を挑む、冷徹な勝負師の過信と不安のせめぎあいの末の苦悩があると思っていた。

だが、どこにもそんなものはなかった。

書いてあったのは、単に運の良いバカの物語だった。

あるいは、イベサーの主催者だった学生時代のノリで、何の根拠もなく金を借りまくって、前を見ないで疾走する犬が木にぶつかって転倒するぐらい自然に事業に失敗する物語だった。

元銀行員が書いたという触れ込みの小説に至っては、主人公を経営者にしただけの安っぽい時代劇だった。

なぜ「孤独」や「勝負」が書かれていないのだろうか、何らかの事情で書いてはいけない事になっているのかもしれない。あるいは借りてきた本が悪かったのかもしれない。
いずれにせよ、読者にとっては幸運なことに、私はこのような退屈な物語を書く気を失った。

代わりに、私が見たり聞いたりした経営者の姿を書く。

貧乏な経営者

一時期私が愛読していた『記録』というブログがある。アストラという小さな出版社の社主が書いていたブログである。(残念ながら現在は更新が止まってしまっている)

gekkankiroku.cocolog-nifty.com

以下に引用する。

マルクスによると労働者(編集部員)は提供する労働に比して安い給料しかもらえない。その差が資本家(私?私しかいない)の「搾取」となる……はずである。この公式に当てはめてみると確かに小社の給料は安い。そこはわかるけれども肝心の「搾取」の実感がまるでない。何を搾取しているのか全然わからない。

こういう経営者は零細企業に結構いる。
彼らは皆心根が優しく、社員に充分に払う給料がないと悩み、人一倍懸命に働くが、いつも決算は火の車である。何かが間違っているのはわかっている、が忙しすぎてそれが何なのか考えることも、気づくこともできない。
まるで、アル中の旦那を抱えて、内職の造花作りに励むカーチャンのようだ。

私も若い頃にそういう経営者の元で働いた経験がある。
そういう会社は家族のようで、社員としての居心地はいい。毎月の売上もだいたいわかるので、安い給料もボーナスが出ないことにも不満を抱きづらい。
だが、働けど働けど、会社(家族)が裕福にならず、どこにも行けないので、さすがにうんざりしてくる。
手厳しいことを言うと、営利企業の経営者としての才能がないとしか言いようがない。

こういう事を書くと「すぐに転職すべきだ」と簡単に言う者がいて、まったきその意見は正しいのだが、何故私がこの善良な世界を捨てなければならないのか、という葛藤は体験した者以外はわからないだろう。
そういう時、我々はただ、天を憎むよりないのだ。

野心的だが不運な経営者

あるいは野心にあふれ、口八丁手八丁どこかの出資者を説得して、大金を借金してIPOなり、バイアウトなりイグジットしてやろうという経営者もいる。
彼らは気前もいいし、社員も投資の対象であると考えているので金払いもいい。

はてなが、tDiaryをパクって、Perlはてなダイアリーを作った頃、私もこの手の経営者を見た事がある。彼もまた「ブログで一発当てたるぜ」的な気概に溢れていた。
同時に、「本当に出資金を返せるのかと思うと眠れなくなる」と言っていたということも聞いた。

残念ながら、ブログで一発当てた(IPOした)企業はドリコムぐらいだったので、彼もまた、海の藻屑のように消えた経営者になった。
そう、野心的な経営者はいつの間にか消えてしまうのだ。
残された社員は力なく首を振って次に行く。
まあそれらも人生の形に見えなくはないが、何とも資本主義の冷徹な側面に触れた気になって、あまり好感はもてない。

ちなみに、この記事を書くために件の経営者の足跡を辿ったが、故郷で起業塾みたいなことをしているようだ。彼の会社はリーマンショックの余波を受けて、不運にも倒産したことになっていた。本当の所は知らないし、どうでもいいことだが、件の起業塾は「馬券の買い方教室」以上の存在になっていないのではないかと、少し心配でもある。

堅実な経営者

どうでもいい私事を書くが、しばらくニートをしていた頃(まあ今でもニートみたいなものだが)、ニート友達と毎日キャッキャウフフしてた私は、ある日、そのニー友の一人が言った言葉に衝撃を受けた。

「俺、いい加減就職するわ」

マジか、と思った私は、彼の就職活動の苦労話を聞いているうちに、自分も就職活動したらどうなるかな、と無邪気に考えた。
転職サイトにプロフィールを登録して、適当なところに面接希望を出した。
結果、1年近い空白期間があったのにすぐ内定が出た。
本当にこの世界はエンジニアにはチョロくできてんなあと思った。

で、入った会社の経営者は物腰の柔らかい60代のオジさんであった。いつも温厚でニコニコしているが、抜群に文章が上手かった。
社内の共有サーバーに置かれた事業計画書などは全く見事なものだった。これなら融資も受けられるだろうな、と私は思った。
事実そこは銀行系のベンチャーキャピタルから資本が入っていて、3年後のIPOを目指すと鼻息を荒くしていた。

しかしながら、私が配属されたIT部門の社員のモチベーションの低さと、技術力は絶句するほどひどかった。就業規則ばかり厳しく、経営層の絵空事なんて知らねえよという、マイナスの気が現場にはうずまいていた。

とりあえず、私は病気が悪化して結果的にその会社を半年ほどでバックレてしまったので、その後どうなったかは知らない。
あれから、かれこれ10年はたつが、まだIPOはしていないようだ。

ただ会社はまだあって、堅実であれば、会社は生き残れるのだ、と結論しても良いかもしれない。
例え投資家からゾンビ企業と罵られても。

幸運な経営者

私が知っている最も成功している経営者は、とにかく幸運である。
経営手法もデタラメであり、社員の待遇も悪いので、毎年のように大量の離職者が出る。
だが、本人は毎夜のようにナイトクラブで経費を使って散財し、会社名義の高級車を乗り回している。

何故こんな会社が潰れないのか、私は訝しむのだが、キーマンが辞めると、偶然のように同じかそれ以上に優秀な人材がやってきたり、大手から大きな仕事が舞い込んでくるので、会社が傾くことは決してないのだ。
こういう経営者と話をしてみると、ほとんど会話が成り立たないが、なにか独自の哲学は持っていそうな気配がある。

神に愛されるというのはこういうことかもしれない。と私は思う。
それ以外、言葉が見つからない。それぐらい何が何やらわからないからだ。

総論

成功した経営者について、私は結局のところ何もわからない。

私が読んだ経営者の本の内容を合わせると、彼ら自身もおそらく何故うまくいっているのかわからないのではないか、または実はどうでもいい決断を、あるいは単なるまぐれ当たりを、さも長い考慮の末の決定的な決断だったと称しているのにすぎないのではないか、とすら思う。

もう少し穏当に表現するなら「経営の成功に普遍性はない」と言うことができるかもしれない。

いずれにせよ理不尽なことである。ただそれが経営者の世界というものかもしれない。


何ともとりとめのないエントリになったが、退屈な小説よりはマシだと思うのでお詫びしない。



人生の勝算 (NewsPicks Book)

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