megamouthの葬列

長い旅路の終わり

勝負ではなく商売をせよ

私は割と根に持つタイプというか、根の持ち方がちょっと常軌を逸している部分があって、昔、Qiitaがコミュニティガイドライン - Qiita:Supportという奇妙なポエムを発表して、

Qiitaは「プログラミングに関する知識を記録・共有するためのサービス」です。プログラマーが興味を持つものではなく、プログラミングに関する記事を投稿しましょう。
<中略>
Qiitaは「プログラミングに関する知識を記録・共有する」サービスです。政治やスポーツを語る記事、ニュースの速報など、プログラミングに関係しない記事は投稿しないでください。

と2度も同じことをいって、可哀想なコボルのおじさんのAdventCalendarを全部消したことを未だに根に持っていて、コードの一行も出てこない、自分のサービスを自慢するだけの記事とか、ベテランプログラマプログラマ心得とかコーディング規約の枝葉末節についてふんぞり返っているような記事を見かけるたびに、このガイドラインに沿って、片っ端から通報し続けている。
だって、「この前打ったホームランの話」とか「バットのグリップの持ち方」の指導は、例のガイドラインによると実際に削除された「私の野球人生」と同じく、「野球の話」ではないからだ。

そういうことを2年ぐらいずっとやっている。告白するとつい最近も通報した。

私のQiitaに対する献身とは裏腹に、私が通報したページは一度も消されたことがない。
そういう意味ではQiitaのアンフェアにも程があるし、私は私でいい加減諦めろというか、そういう話なのだけど、ようするに私は一度腹が立つとずっと恨み続けるし、敵と見なした人間や組織は永遠に敵と見なす性分である。そこに釈明の余地はない。ついでに言うとTEDはかなり昔に敵と見なしたので、今では、素人参加のスティーブ・ジョブズ物真似大会として見ることにしている。

だから、私が20年ぐらい根に持っている話がある。といっても読者はそれほど驚かないだろう。

昔、私が零細企業で働いていた時分だったと思う。仕事が終わってから、ベンチャーらしく社長を交えて今後の方針を話し合っていた時の事だ。
業界も若かったし、私も若かった。
まだ世に出ていない、いいアイデアはたくさんあったから、私たちはついつい夜がふけるのも構わず、自分たちが構築できそうなサービスのアイデアを出していった。

ある拍子に、私が、「これだったら、きっとさくらインターネットに勝てますよ」と言った。
どういう考えだったかは覚えていない。当時のさくらは今ほどは巨大なホスティング業者ではなかったし、自分なりに自信のある発言だったのを覚えている。
その時、社長は少し微笑んで、私を諭すように言った。
「勝負はしちゃいかん。商売をせな」

私は黙る他なかった。そして話は次の話題に移ったのだが、その言葉はずっと心に残った。
教訓とか一つの貴重な洞察としてではない。私がこの世界を呪う根拠として、だ。



それからしばらくして、かなり大きな金額でメールマガジンの配送システムの話が持ち込まれた。
依頼主は楽天でECショップを商っている気前の良いおじさんで、私達は精密にメール流量を検討し、送信IPアドレスの数を検討にいれながら、5台構成ぐらいのSMTPサーバーとその制御システムの見積もりを作って先方の事務所に行った。

見積もりを見た商店主のおじさんは、大した感慨もなく、システム構成図などの提案書をパラパラと見ると、「結局のところ、これでどれぐらいメールが出せるんや?」と言った。
私は、専用のシステムになるので、時間の許す限り、または受け取り側のホストが受け取れる限り、かなりの数が配送できることを話した。
「そらええな。でも送り先はどないしたらいいんやろうな?」
とおじさんは続けた。送り先?メールアドレス?それはもちろん御社がお持ちではないんですか?
「…んまあ、あるにはあるけどな。」
とおじさんは言いよどんだ。私はそのあたりで、おじさんの目論見がわかった。
ようするに、オプトインをとっていないのだ。メールアドレスのリストを大量に持っていて。ただ、そこにメールを送ってもいいという許可は得ていない。そういうメールアドレスは沢山ある、と言っているのだ。

その頃にはすでに迷惑メール(スパムメール)は社会問題となっていた。上流回線やドメイン業者にスパム業者だとバレた瞬間、全ての契約が破棄される、という時代はすでに始まっていた。

私は、できるだけやんわりと、そのようなビジネスにご使用になることはできません。またはリスクが高くすぎます。というような事を言ったと思う。

おじさんは話にならんな。という顔をした。そして、売り物のバッグを手にとった。
「これなバーキンのバッグや。やけどな、楽天では売れんのや。本物やないからな」
もちろんそうだろう、それは明白に犯罪だ。
「やけど、子会社なんて1ヶ月もあったら作れる。そこで売ったらええ。メールアドレスもうちは沢山持っとる。そういうビジネスをわしはやりたいわけや」
と要約するとそういう意味のことを言った。もちろん私は提案書を片付けて、きっぱりと断った。

おじさんは呆れたというより、憐れむような目で私を見ていた。

「あのなあ。いいもん作ったら売れる。そう思っとるんやろあんたは。」
私は下を向いて黙った。
「そない世の中が単純やったら、誰も苦労はせんで」


私は勝負がしたかった。Webプログラミング、インフラ構築、UI、どれも他の先を行って、圧倒的なオーパーツのような会社になって、巻き返したかった。
でもそれではいかんのや、と下卑たおじさんと社長は言う。「商売をせえ」と私の頭の中で何回も言うのである。

私はそれでも勝負をしたかった。なので、ずっとこの業界にしがみついた。いつか勝てるか、世界ランク1000位でも8000位でもいい、どこかに自分を刻みたいと願った。

いつの間にか、私の知らないところで、大金が舞っていた。
ガラケーの釣りゲームが電子データの釣り竿を3千円で売っていた。
ソシャゲーガチャがSNSの広告収入の数百倍の額を半年で叩き出すのを見ていた。

みんな商売をしていた。

中には商売が上手く行って、ちっぽけなITベンダーがあれよあれよという間に上場したり、大企業に巨額買収されたりする。
そういう時のFacebookは決まって「おめでとう!」という言葉で、埋め尽くされていて、誰も「負けた。次は俺の番だ」なんて幼稚なことは言わないのだ。

ああいう光景を見るたびに虫唾が走る。
そして夢想する。
いつか、彼らの夢が破れて、商売ができなくなった時、ガード下のみすぼらしいバラックに先に来ていた私が彼らにこう言ってやるのだ。

「勝負を避けて避けて、商売して、あなたは誰に信用されたっていうんですか?」

それでも彼らは、胸を張るだろうか。張るだろう。
だが、そうだとしても、ずっと勝負を続けていた者だけは、その虚しいプライドを笑える筈だ。
例え、心身がボロボロになっても、「この人とは仕事したくない」とブコメに書かれても、私は勝負をしてきたのだから。

だから、経営者の方々は安心して商売に邁進していただきたいと思う。
上手く行かなくたって大丈夫。

私がちゃんと地獄で待っているからね。