megamouthの葬列

長い旅路の終わり

貧乏なおじさんへのささやかな贈り物

ネットバブル前夜、ホリエモンの会社がまだオン・ザ・エッジと呼ばれていた頃、パイナップルカンパニーというWeb制作会社が神戸にあって、社長のおじさんは、ナウいホームページを作ることにかけては関西随一と呼ばれていたその会社に見積もりを依頼したらしいんだけど、イキリにイキリきった営業に、当社は1000万円以下の仕事は請けないんですよ、と半笑いで門前払いされたことをずっとずっと根に持っていた。

おじさんと酒を飲むたび、何度もその話を聞かされるから、パイナップルカンパニーが2002年に倒産して、オーナー社長が行方不明になって、今や神田敏晶の出身企業と説明されるまでに忘れられた、というオチを、僕は何も見ずに書けてしまうほどだけど、きっと、おじさんがこの話で伝えたかったことは、貧乏な顧客を無下にして、高飛車な態度をとっていたら、いつかは商売が立ち行かなくなるんやで、ということなのだ。本当のところはわからないけど。

話の中で哀れな貧乏だった社長のおじさんは、今はもっと貧乏だ。そして僕はその下で仕事をしている。ナウいホームページは作れないけど、そこそこナウいWebシステムは作れるつもりだ。でも、おじさんはお金がない。おじさんのお客にもお金がない。だから僕は、vueやLaravelのことは忘れて、景気の良かった頃に作られたPerlのシステムに、機能を付け加えたり、MySQLデータベースのメンテナンスをしたりしている。

おじさんが申し訳なさそうな顔をする時は、たいてい僕の見積もりが通らなかった時だ。お客が首を振ったのだ。
いったい全体、僕以外の誰が、use Jcode;の、前世紀末の栄華を思わせる継ぎ接ぎだらけの廃墟を引き受けられるというのか。とにかく高い、とお客は言う。おじさんは困る。そして僕は憮然とする、というわけだ。
僕にだって本当はわかっている。お客はなみいるベンダーと比較して、値引きを要求しているんじゃない。お客が比べているのは、「やる」と「やらない」。僕の見積もりは、「やらない」と競争して、負けた。僕たちは「無」と戦っている。

見放されたシステムの前で、5人も入ればいっぱいになってしまう小さな事務所に一人。事務のおばさんは今日はお休みだ。僕は逃げそこなったのか、あえて残ったのか、自分でもよくわからない。ただ動かないシステムが嫌いで、使われないシステムが哀れで、綺麗にリプレースされる日が待ち遠しくて、なんだかよくわからない理由で、僕は今日もPerlコードを追いかけている。

# modified at Jul 06 2001
@files = map $_->[0],sort{$a->[1] <=> $b->[1]} map [$_,-M $_],@files;

もうすぐ、2019年の夏が来る。やあLarry。Perl6の調子はどうだい?


昔は僕以外にもPerlプログラマがいて、このシステムも最初はその人が書いたということだ。社長のおじさんの大学の後輩で、村田という人で、僕が入った頃にはとっくに会社を辞めていて、フリーでちょこちょこ手伝いにくる、といった感じで、時々事務所で見かけるぐらいだった。メガネをかけた白髪のおじさんで、いつも多少酔っていて、人と話す時も目を見ない。視線はずっと何もない空間にあって、話し方も目つきもちょっと狂っていた。
村田さんは新しいものが好きで、事務所に来る度に新しいガジェットを持ってきて、社長に自慢していた。飽きたらそのまま事務所に置いていってしまうので、例えば、棚の上で風景に同化しているポケットポストペットの埃を被ったピンク色は村田さんのものだ。


社長のおじさんが珍しく昼過ぎに出社してきて、見ると黒い喪服を着て大きな白い紙袋を持っていた。僕が聞くと、黙って自分の机に座って、村田が死んだんや、息を吐き出しながら言った。

僕が黙っていると、おじさんは紙袋からなにかを取り出して机に並べはじめた。ところどころが分解されたドローンだった。どうしたんですかこれ、と尋ねたら、あいつが最後に家でバラしてたんや、なんて言うから、僕は寂しい気持ちになって、むき出しになったコイルを見つめていた。
社長のおじさんはどこからか電動工具のケースを持ってきて、ドローンの隣に置いた。
「どうするんですか」
「組み立てる」
と黒ネクタイを外しただけの格好で真面目な顔をして言った。
「動きますかね」
僕は控えめに言った。
「どうやろな」
おじさんが、腕まくりをしてドローンに取り掛かったので、僕も席に戻った。
そして、死人が書いたコードをゆっくりと読み解いていった。

しばらくして、キュイーンという電動ドライバーがなる音がして、僕は思わずおじさんのほうを見た。おじさんがそれに気づいて目があうと、「これでも工学部やからな」と少し恥ずかしそうに、言い訳するように言った。

昔の話やけどな――社長のおじさんはすぐに手元に視点を戻して、手を動かしながら話しはじめた。
通産省のプロジェクトがあってな、元請けはFやったか、なんや商店街の。地域振興なんか、地方の商店街のな、ショッピングサイト作ろういう話でな、実証実験やな、そういうのがあって、全体の予算が何億っていう話。俺も知り合いから声かけられて、イベントの手伝いを請け負ったんや。

おじさんは慎重にパチンパチンと銀色の外装をはめこんでいった。
何億もやで、何億もするショッピングサイトが出来てな。まだamazonも日本に来てない頃や、楽天はもうあったかな。システムが出来上がってみたらな。
そこで、おじさんは念を押すように顔を上げて僕を見た。

「カート機能がなかったんや」
「は?」

僕は呆気にとられた。通産省の役人も、元請けの大手ベンダーも、ショッピングサイトにカート機能がいる、ということに思いが至らなかったのだ。

「みんなが呆れてな。さすがにこれはないやろう、て」
「そりゃそうでしょうね」
「でも、元請けのFはやらん、と。そんな予算はない。言うてな」
おじさんは再び目を落とした。遠くの、ずっと昔に焦点があっているような雰囲気があった。ドローンの緑色のLEDが光っている。電装系はやられていないようだ。

「大揉めに揉めるもんやから、俺も知り合いの伝手を探してな」
パチン。なにかのパーツが小気味良くあるべきところに落ち着く音がした。
「そこで、村田よ。あいつに声かけてな。一人でプログラムしよった。カート機能」
いつのまにか傾いていた夕日が、雑然とした事務所に差し込んでいる。
「100万や。一人で100万でな、やりよった」
おじさんが持ち上げたドローンの銀装が光った。



僕たちは夕方の河川敷にいた。Yシャツだけになったおじさんがドローンを片手に草むらの中に入っていく。
「大丈夫ですかね」
と僕はあたりを見回しながら言った。パトカーのサイレンが遠くに聞こえる。
「どうやろな」
おじさんはドローンのプロペラを手でくるくる回しながら言った。しばらくそうして、静かにドローンを地面に下ろした。
川からやってくる風が、夕日で火照った体をゆっくりと冷やしていく。水と、草と、夏の匂い。

おじさんはプロポを手にした。僕は胸ポケットから煙草を取り出して、火をつけた。
芝刈り機のような音が足元でして、それはすぐに胸のあたりに昇ってきた。
けたたましい音をたてて、ドローンが浮いている。
銀色の安っぽい中国製のメッキが、弱くなった太陽と迫ってくる暗がりの間にいて、僕と社長のおじさんに、かわるがわる頭を下げた。

僕は煙草の煙を吐き出した。
紫煙から逃れるように、輝く機体が、オレンジ色に染まった入道雲の鮮やかなグラデーションに、ひたすら向かっていく、あっという間に小さくなる。
鉄橋を渡る電車の音が聞こえた。


「高いなあ」
僕の隣で、社長のおじさんが夢見るような口調で言った。


季節のない街 (新潮文庫)

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