megamouthの葬列

長い旅路の終わり

1999

私たちの世代について、説得力のある主張でもなく、論評でもなく、ただ、腑に落ちる話をしたいと思っている。

1999年のある日のことを覚えている。
その日は家庭教師のバイトがあって、私は外で時間を潰す必要があった。

空は厚い雲で覆われていて、まとわりつくような熱と湿気があって、気乗りのしないバイトと、上手くいかない学業と、恋人との破綻しかかった関係があって、私は缶コーヒーの殻を持って、近くの駐車場にぼんくらのように突っ立っている。

1999年 7月某日

というテロップがそこに重ねられる。

ノストラダムス五島勉によれば、本当は私たちはこの年に終わる筈だったのだけど、それがどうもそうでないらしい、と教えてくれたのは、タクシーの窓から見えた「2001年完成予定」という建築現場の看板だった。
アンゴルモアが君臨しても、次の年は事も無げにやってきて、もちろんその予定で世界はごく自然に動いているのだ、と知って、本当のところ私だって、薄々はそう思っていたのだけど、想像以上にがっかりしたものだ。


その年、私は、恋人の家で「ジェネレーションX」を読んだ。彼女がベッドの上に私を置いて大学に行ってしまった後も、読み続けた。

ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち (角川文庫)

ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち (角川文庫)

この本の不幸なところは、二つある。一つはサブカルチャーのイコンと化してしまったことで、つまりはあの世代の気取りかたの見本になってしまったこと。もう一つは、本場のジェネレーションXたちが、IT革命の中で、まさに「遺伝子宝くじ」に当たってしまったことだ。

だから今、遠く太平洋を隔てた、10年後のジェネレーションXたる私たちは、取り残される事になった。彼ら流に言うなら、ようこそマックジョブへ!というわけだ。
私たちはあまりに悔しいので、本を絶版にしてやった。今あの本を読もうと思えばブックオフで百円払う他ない。いい気味だと思う。


その少し前、テレビの「あの頃は」みたいな映像でもおなじみのルーズソックスの時代があった。
そして、これはあまりTVではやらないけど「援助交際」というのもその頃に始まったということを書いておきたい。
色々な作家や評論家が、様々な角度から女子高生が脂ぎったオジさん相手に春を売っている事実が意味するものを語ったものだが、同時代の男子高校生たちが少なからず敗北感を抱いていたことに言及した人間は僅かだった。
宮台真司あたりは書いていたかもしれない。彼は後に正淑な妻を娶ったが、いずれにせよ、私は彼の著作を読んだことがないのでわからない。

私たちの敗北感を代弁してくれたのは、週刊文春か新潮にコラムを書いていた老教授だった。「同級生の女が、年上の男と売春しているという事実は、何よりも男を傷つけるのだ。フェミニスト達は怒るのかもしれないが、彼らは彼女たちを守ってやれなかった、とさえ感じているだろう。男というのは総じてそういうものだからだ」という論旨だったと思う。

私もフェミニスト達が怖いので、そういう事を言っている人がいたんですよ。で話を切り上げたいが、事実として、私をはじめとする男子高校生は、同級生の女たちが売春するのを、ただ見ていた。それが社会問題化し、是々非々の議論になって、多くは否定されるのをただ待った。

ここで書いておきたいのは、私たちは大人になる前に、好景気が知らない間に終わって、でも、そのうちなんとかなるだろうという根拠のない時代に、確かに最初の罪を犯したということだ。


大学に入った頃、キャンバスをぶらついていると、屋外に置かれたテーブルの上でトランプを切っている男がいた。奇術部の勧誘らしいのだが、誰にも相手にされていない様子だったので、私は気まぐれに彼の前に座ってみた。
彼は簡単な手品を幾つか見せてくれたが、私がお追従で驚いてみせる演技があまりにひどかったのか、トランプを置いて世間話を始めた。
「経済学部だったら、就職はゼミでほとんど決まるからね」
と彼は言った。「経済学史なんかのつまらないゼミに入っちゃったら、銀行なんてとても入れなくなるよ」

私は彼がどこに就職したいのか、尋ねてみた。
「先輩はNTTに入ったよ。もちろん俺も狙ってる」


私たちに「世代的な罪」があるとすれば、つまりは、常に迎えを待っていた。ということにつきると思う。

ある種の女たちは、消費に飢えて、養ってくれる男性を待っていたし、私たちといえば、甲斐性があって、立派な資本を持っている企業からの誘いをずっと待っていた。
受験で頑張れば、要領よく講義ノートを手に入れれば、いいゼミに入ることができたなら、きっと迎えはやってくる。

一生の安泰と美しい伴侶と、愛すべき子供たち。

みんなそれをただ、待っていた。

氷河期世代とか、無色透明だとか、それが後に私たちにつけられた名で、私たちはそうなる前に、きっと怒るべきだったのだろうと思う。


最後に一つ、2001年の9月9日の事を書こう。
大学の部室で後輩と話している時、ふと、窓の外を見ると、不思議な光の加減で窓の外の雑木林が、異常なほどの黄色に染まっていたことがある。

私がそれに気づいて、じっと部室の窓を見つめていると、背後で後輩が「変な色ですね」と言う声が聞こえた。
部室の外がにわかに騒がしくなったようだった。私たちが部室のドアを開けて外に出ると、理由がわかった。

恐ろしいほどに巨大な「虹」が、夕日を背に黒くなった校舎の向こう側にくっきりと現れていた。

校舎の屋上にまで人がいて、皆、その虹に目を奪われていた。

「あの虹のたもとで、後に世界を救うことになる赤ん坊が生まれたんですよ」
ちょっとした高揚の中で諧謔の好きな後輩が言った。

その漫画的な台詞は明らかにジョークの一種であったが、うわの空でそれを聞いていた私は笑うことができなかった。

劉邦に使えた張良のように、あの虹のたもとで生まれた者に自分は仕えることになるのだ、と自然に思った。

私はまだ未熟であったが、情熱によって、その者の役にたてるだろう、と思った。
後に私は知識によって、その者の側に立てるだろうと、考えた。
そして今も、迎えは来ない。
もはや、情熱もなく、知識も古びて、私は彼の者に差し出す物を何一つ持ち合わせてはいない。


私の夢想の中で、ずっと先の日に、帝都に彼の者とその従者の行列が華々しく凱旋する。

街々の窓からは、祝福の人々が歓声をあげて、紙吹雪やリボンを行列に投げ入れている。

私は、私たちといえば、煉瓦造りの尖塔が作る影の中で、歓喜する群衆の間からその行列を見ている、感情のない眼差しで見つめている。まるで幽鬼のように。

絶望することよりも、この絶望に何の意味もない、と考えるほうがよほど恐ろしい。

どうか、これが私たちの犯した罪の報いであらんことを。


liquid rainbow

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