megamouthの葬列

長い旅路の終わり

その暗き流れのほとりにて

奇妙な夢を見ていた。昔住んでいた子供部屋の窓から、降りしきる雨を見ている夢だった。
雨は随分前から降り続けている。外を見下げるとアスファルトに薄い雨の膜が出来あがっていて、濁った水が側溝の格子から際限なく運び去られていく。それでも雨の勢いが勝って、道路の上に出来た真っ黒な川は少しずつ分厚くなっているように見えた。
窓の外から目をそらすと、うす暗い部屋に古びた学習机が目に入った。小学生に上がった時に買ってもらったものだ。天板の上に貼られたビックリマンのお助け天使のシールが、灰色の光にひどく退色して見える。

この雨が止むことはないだろう、と何故かはわからないが、私は思い込んでいる。やがて黒い水が、軒下に達して、1階の玄関ドアからゆっくりと浸していき、リビングの絨毯を覆ったかと思うと、テレビ台に上がり、写真や土産物がおかれた棚の一つ一つを念入りに握りつぶしていくのだ。
それでも、おおよそ心の動きはなかった。鈍麻した神経が、動け、という意思を無意味な念仏のように聞き流していた。焦りや恐怖はなかったが、だからといって、諦めているわけでもなかった。ただ、諦めと逃避に導く見えない何かの意思を、私は鈍く認識していた。

窓の外で雨は一層激しさを増してきている。私は再び外に目を向けた。
……流れのほとりにすわり、嘆きと涙に……
不意に、意思の乏しい、ぼそぼそとした女の声が耳元でした。
私は振り返ろうとする。しかし、そこで目が醒めた。


目を開くと、カーテンから漏れでた朝日が天井に光の筋を作っていた。
階下で人が動いている音がして、私は久しぶりに実家に泊まったことを思い出していた。

鈍く痛む頭を抱えながら、高校時代から使っているシングルベッドに起き上がった。夢で見た場所に学習机はあった。しかし夢と違っているのは、そこにはホコリよけにカーテンを流用した安っぽい紫の布がかけられていることだった。
私は裸足にカーペットの感触を感じながら、学習机に近づくと、天板を確認しようと布をつかんだ。思いがけず手にじっとり冷たい感触があった。その布は今しがたまで霧の中にあったように、しっとりと濡れそぼっていた。

階下から大きな声で名前を呼ばれた。朝食が出来たことを告げる母の声だった。困惑しながら私は、布を戻して、階下に降りていった。


食卓には家族が揃っていた。正面に父と兄が横並びに座り、私の席は奥にあった。
「よく眠れたか?自分の部屋で寝たんだろ?」
兄は言って、新聞を傍らに置いた。父は何も言わずにその新聞をさっきまで読んでいたスポーツ新聞と取り替えた。
「何もかも昔のままだから、かえって落ち着かないよ」
私は味噌汁の入った椀を手に取りながら言った。
「あそこは母さんがそのまんま残してあるからな」
兄がにやにやしながら言った。

「時間は大丈夫かい?」
母が湯気のたった茶碗を人数分載せた盆を持ってきて、訊ねた。
「元の家よりは、ここのほうが会社に近いからね。少しはゆっくりできるよ」
私は答えた。
「早く、リノベーションっていうの?終わるといいのにね」
母はご飯の入った茶碗を皆の前に配り始めた。
「4人で朝ごはんなんて正月以来だ」
父が誰に言うでもなく言った。
「たまには嬉しいでしょ。お父さん」
と母が合わせた。父はそう言われても、無表情を崩さずに、また新聞の向こうに隠れてしまった。


遅めに家を出たが、会社に着いたのはいつもより早かった。
始業30分前なので、まだオフィスには人がまばらだ。
先に来ていた同僚に、珍しいな、と声をかけられる。
机の上に不意にお茶が置かれて、少し驚く。私はそれを持ってきた女子社員を見上げた。女子社員はきょとんとした表情をしている。ありがとう、と思わず言うと、彼女は少し首を傾げながら給湯室に戻っていった。

私は朝から続いている困惑を打ち消すように、同僚と話を続けた。家を改装中でね、しばらくは実家から通っているんだよ。
「高校以来、自分の部屋で寝てね。懐かしかったんだろうかね、変な夢を…」
「はは、そりゃ子供部屋おじさんだな」
話を途中で遮って同僚は言った。私の困惑はかえって深くなった。
「子供部屋お兄さんってのはいるが、お前のは子供部屋おじさんだよ」

子供部屋お兄さんというのは、いつまでも実家暮らしをやめられない、自立心のない最近の若者を指す言葉だ。しかし、どうにも「子供部屋おじさん」という言葉に聞き覚えがあった。何かのコメディアンのネタとして耳に挟んだのかもしれなかった。

携帯の着信音が聞こえた。マリンバの軽快なリズムでiPhoneであることがわかった。ブルーの安っぽい外装のそれに出た女子社員が、誰かと話しながら足早に廊下に走っていく。
iPhoneも、私には玩具にしか見えないが、女子どもには売れているみたいじゃないか」
「安いからね」
私は言った。同僚が机の上の資料をまとめながら言う。
iMac以来ヒット製品がなかったからな、アップルを買収したソニーもようやく一安心だろう」

始業時間になったので、私はパソコンに向かった。仕様書を作成する仕事があって、打ち合わせまでに終わらせたかった。
それにしても毎日、書類仕事が続く。今世界標準になっているのはNTT横須賀研究開発センターで開発されたYRPフォールダウンというシステムだが、この手法はマネジメント層の作業量は削減してくれないし、全体効率も悪かった。しかし、今開発している新しい携帯電話のプロジェクトを品質を一定に保ちながら進めるには、これ以外に方法がないのも事実なのだ。


午後の打ち合わせはTV会議だった。ISDN回線のスムーズな着信の後、大会議室にある50インチのNEC製ディスプレイが鮮明な映像を写した。繋がっているのはシンセン特別区国営企業の会議室だ。こちらの豪華な会議室と違って、無骨な会議机の前に一直線に不機嫌そうな顔をした中国人エンジニアが3人並んでいた。唯一笑顔を浮かべているのは、端に座る我社から出向している通訳兼ブリッジエンジニアの男だった。
中国人が怒りを抑えるような口調で長々と話し始めた。中国語はほとんどわからないが、昨日付けで変更されたモジュールのAPI仕様について言っているようだった。
ブリッジエンジニアは笑みを交えながら、彼の主張を私の上司であるプロジェクトマネージャーと和やかに話した。途中で、ビジネスの話になって、彼の希望するスケジュールの延長はなんとなく無視されてしまい、実際その通りになった。
ブリッジエンジニアに結論を伝えられた中国人は安っぽい椅子に乱暴にもたれかかると、マイクに拾われるほどの大きなため息をついた。無理もない。やり直しになるのは仕様書から自動生成されたテストを通過するコードを書くだけのくだらない仕事だ。そのうえ、我社から払われる金額の2/3は中国共産党の取り分になる。
それでもプログラマをやめないのは、農家よりはマシということなのだろう。
回線が閉じる直前に、中国人が荒々しく悪態をつくのが聞こえた。


会議が終わると、チャイムが鳴って、昼休憩の時間になった。今日は組合の放送があることを思い出した。組合員の男が、オフィスにあるSHARP液晶テレビの電源をいれる。
テレビでは、組合の幹部が順繰りに今後の労使交渉の方針などを政見放送のような勇ましい口調で語っていたが、大半のものは食堂に行ってオフィスからいなくなってしまっているし、残されたものも買ってきた食事を食べるのに夢中で、誰も聞いている様子はなかった。

演説が続いている間に、私も家から持ってきた弁当を広げた。母親の手作りだったが、食べるのは高校以来になる。
おや、愛妻弁当かい。と上司のプロジェクトマネージャーが声をかけてきた。彼は昼食をとらないが、それが若さを保つ秘訣だと言い張っている。
「家を買ったのはいいんだけど、近所の子どもがうるさくってかなわない。先週の日曜なんて、家の前でサッカーをするんだ。おちおち寝ることもできないよ」
と彼は女子社員が淹れてくれたお茶を啜りながら、言った。
「息子の通う中学は1学年に8クラスだよ。どうりで子どもが多いわけだよ」
私は、母の作ってくれた卵焼きを頬張りながら、愛想笑いをする。団塊ジュニアの愚痴の内容はいつも人が多い、ということに帰結してしまう。

その後は、明日に向けて仕様の突き合わせをしたり、外注へ急ぎでもない電話をして過ごした。夜の8時までは残業するつもりだった。そうすれば、とりあえず家計の足しになる。共働きしている同僚も多いが、うちの妻は専業主婦だから、手取り50万では少なすぎるのだ。

8時になったので、帰り支度を整えた。鞄を抱えると、底のほうが濡れていることに気づいた。慌てて鞄を開けてみると、弁当を包んでいる白いふきんが雨に打たれたように濡れていて、その水が鞄の底に垂れ落ちていた。


帰りの電車は空いていたが、正面に座った若者たちが騒がしくて、落ち着けなかった。彼らは最近NECがリリースした最新の携帯電話を持ってはしゃいでいる。複数のレンズを持っていて、多焦点の歪みの少ない広角撮影ができることがウリの製品だった。
当社の携帯がカメラの分野で後塵を拝しているの事実だが、この製品に関しては、何に使うのだろう、と不思議に思っていた。しかし登場してみると若者にそこそこ売れていて、どうもグループ対グループのTV通話がやりやすい点がウケているようだった。
NGNになって安くなったといえ、TV通話をすればパケット代が相応にかかる。彼らにとっては、限られたお小遣いで捻出するパケット代で全員が話せることが重要であるらしかった。

カメラの前ではしゃぐ若者と、カメラを持つ青年の作り笑顔を見ながら、私は根拠のない哀れみを感じる。


実家に帰り着くと、当然ながら夕食は終わっていた。炊飯器に残っていたご飯でお茶漬けをつくる。
深夜のTV討論番組では、老人が社会党の政策に対する見込みの甘さを痛烈に批判している。
mixi echo最強の論客ということで有名になった若い大学教授が、老人の言葉に鋭い反論をいれた。ほとんどの指摘は揚げ足をとっているばかりで、建設的なことは何も言ってないのだが、時々老人が答えにつまると、会場が湧いた。
見かねた司会者が、社会党の議員に話を振った。
その女性議員は70代に達した団塊世代が医療費を圧迫し始めている、という事実を淡々と指摘した。大学教授もそれには茶々をいれなかった。出生率の伸びを維持できなければ、年金を60歳で満額支給できないこともあり得るのだ、と。


暗い自室のベットに誰かが座っていた。
自分の実家に戻っている筈の妻だった。
「来てたのか」
「たまには顔を出さないとね」
妻はそう言って、私のベッドに無遠慮に横たわった。
「お母さんに晩ごはんをご馳走になったわ」
私は、なんとなくライトをつけないまま、学習机の椅子に座った。すぐに足元が濡れているのに気づいた。
ほこり避けに被された布が今朝よりも更に濡れそぼっていて、ぽたぽたと水が滴っている。

私は、布を取り去ろうとした。
「開けないで」
妻はきっぱりと言った。
「こっちに来て」

私は妻の横に体を横たえた。
ベッドのすぐそばの格子のついた窓から、墨を落としたような漆黒の空が広がっていて、半月が浮かんでいる。

雲ひとつなかったが、頭の奥ではさきほどから激しく雨の音がしている。

「ねえ、私、子どもが欲しいわ」

妻が私の腕の中で、半月に目を向けながら言った。雨音に混じる感情も意思もこもっていない声に覚えがあった。

私は返事をしなかった。
雨の甘い匂いにまじって、私の靴下に冷たい水が染みこんでくる感覚があった。
見なくてもわかる。それは雨だ。あの黒い川だ。あの暗い流れが、私を追いかけてきているのだ。

私は目を閉じて、あの部屋を想った。
雨と、誰もいない家と、何もできない自分と、剥がれかかったビックリマンシール
次に目を開けたとき、見えるのは妻と空に浮かぶ半月ではなく、半ば水没した空虚な部屋に違いない、という確信があった。

少しだけ時間が残っているようだった。まだ、この世界を感じることができた。

暗き流れのほとりにて
嘆きと涙に
私ははるかシオンを思っている。