わずかのまこと
自分の感情や意志とは異なる独立した意識が自分の中にあることに気づいたのは何時の事だったろうか。
夢想癖のあった少年時代からそれは存在していたような気もするし、あるいは私が鬱病と診断されたごく最近のことのような気もしている。
ある冬の日、私は会社に向かおうと着替えを済ませコートを羽織った。自室の窓から枯木だらけの公園が見下ろせた。
私はほんの少しの間、感慨にふけるが、しかしすぐに視線を外すと安全用にしかけておいた最後のアラームを片手で止めるとそのままドアを開けて会社に向かうのだろう、と思った。
だが、そうはならなかった。
私は魅入られたようにコートを着たまま、その殺風景な公園を見下ろし続けていた。
何かの意思が私の足をそこに縛り付けてしまったように、と言えばわかりやすいのだが、実際はそれほどの強制力ではない。単なる思い込みにすぎないような、ほんのちょっと冷静になれば簡単に打ち破れそうな呪縛めいたものがあって、それが私が動くことを許さないのだった。
私は少し怪訝に思った。なにより不思議なのは私自身がその呪縛に反抗する気が全くないことであった。ようするに、私はまるで「自らそう望んでいるかのように」そこに立ち続けていたのである。
やがて部屋の時計が記憶に隷属した嫌気のある音色でアラームを鳴らし始めたが、私のその意思に変わりはなかった。会社に遅刻する?仕事に穴があく?そんなことに何の意味があるというのか。とすら私は考えていた。
その後の記憶はあまりない。おそらく会社に電話をいれてその日は休んだのだと思う。
私はここで多くの人を騙してきたことを告白しなければならない。私はこの現象が、まるで不可避で反抗のしようがないほどの強制力をもっている、ということを深刻な顔で主張し続けてきた。そしてそれは尊敬する上司にも、懐いてくれた部下にも、主治医にすらも、全く疑われることがなかった。
人を邪道にひっぱり込むため、暗闇の手下どもが真実を言うことがある、わずかのまことでひっぱり込んでおいて深刻な結果で裏切るために。
その通り、この話は事実には違いないのだ。実際私は出社することができなくなっていたのだから。
だが前述のようにこの話には語られない真実がある。私は、出社したい、ともまた思っていなかったのだ。
なぜ私が、その重要な真実を語らなかったのかはわからない。話していたとしても、それまで私が積み上げた実績を考えれば、それ自体が「異常」と判断されていたかもしれないし、おそらくそうだっただろう。しかし私はこれを語らなかった。その真実が彼らの手に余るということを敏感に感じ取っていたのかもしれないし、単純に私が彼らを信用していなかった、ということかもしれない。
数週間後、医師に鬱病と診断され、私はこの現象に世間一般の名前がついていることのあまりの「都合の良さ」に内心ほくそ笑むことになる。
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