megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ブラック企業消滅チートバグ

以前

www.megamouth.info

という記事を書いて、なんだか妙な方向でヒットしてしまい。コメント欄が罵詈雑言で満たされたという事がありまして、
私もブラック企業を憎む人がこんなにもいるんだなあ、と思ったわけですが、ブラック企業が憎い憎い!、というあなたにマイスリーパキシルをアルコールで飲み干した文章を捧げようと思う。


前述のとおり人類共通の敵であるブラック企業。しかしまるでなくなる気配がない。

戦隊物のTVシリーズに出てくる悪の組織と違って、社会悪が存在し続ける原因は際立った邪悪によるものではなく、何らかの権力の都合によるものだと考えたほうがよい。

ちなみに、ここで当ブログに現政権や経団連などの権力批判を期待されても困る。
私はそういう識見は一切持っていないアル中のエンジニアであるので。

さて、権力によって生かされているものを倒そうと思うならば、それは権力闘争によってしかない。つまりは異なる権力によって打倒するしかないのである。

ブラック企業にとって、個々の労働者が権力を持つことはない。なぜなら彼らにとって従業員とは常に代替の効く消耗品だからだ。
酷使されてすっかりチビた哀れな消しゴムが不平を述べたところで、誰が耳を貸すだろうか?あなたでも、さっさと文房具屋に行って新品の消しゴムを買うだろう。

しかし、この世界のすべての消しゴムが団結し、あなたに反旗を翻し、文房具屋の消しゴムが「あなたと働くのは御免だ」と、金切り声で叫びだせば、あなたも考えを改めざるをえない。
消しゴムの言い分を聞くか、消しゴム以外の手段(例えばパンの耳)を探すことになる。

それは消しゴム達が団結することで、ひとつの権力となった、と言うことができる。
お察しの通り、労働者においてそれは労働組合ということになる。

ちなみに、ここで当ブログに労働組合への加入の勧めやその意義を期待されても困る。
私はそういう識見は一切持っていない精神病のフリーランスエンジニアであるので。

よく労働組合がアベアベ叫んでばかり、ちっとも労働者のために働いてくれないと嘆く声がある。
ブラック企業がはびこるのも、労働組合が存在しなかったり、ユニオン系の団体が共産党の支援ばかりして、本来の働きをしないからだ、という意見もある。

ただ、これも労働組合が、資本家に嫌がらせをするボランティア団体ではなく、一つの権力であると考えれば、説明がつく。

労働組合が権力である以上、彼らは権力闘争をしなくてはならない。
資本家の背後にいる政治権力との闘争である。
そちらが忙しいので、肝心の資本家との対決のほうは、あえて、春先に談合めいた闘争を行う程度にしているのである。

なぜなら、そのほうが、意義深いし、「なんだか闘争っぽい」と上層部や専従達が信じているからである。

どうして、そんな人が労働者保護の指導的立場にいるのか、と嘆く気持ちはわかる。

しかし、少し考えてもみてほしい。誰が、自分の出世や安泰な立場を失うリスクを負ってまで、好き好んで他人の不当な待遇や全体の幸福を争うだろうか?
もしそうした人がいるのなら、というか実際いるのだが、それは特殊な過去を持つ人であり、闘争の化身であり、北欧風に言うならベルセルクであり、つまりは、そういう人なのだ。
生まれついての闘争家である彼らが、その対象をより強大な敵である資本主義とブルジョア民主主義に向けたとしても、それは幼い悟空がヤムチャ一行についていかないぐらい自然なことである。


ブラック企業に対して労働組合が機能していない、という意見には、あれは邪悪なのだから、労働者の権利を守る権力が全力で叩き潰してくれる筈だ、という虫のいい願望が隠れている。一方そう考えている彼らはその正義の味方である労働組合の組合長の名すら知らなかったりするのである。

もし、彼らに政治闘争はひとまずおいて、資本家との対峙を期待するのなら、自分がその中心に立つか、せめて組合費の天引き以上の貢献はすべきであろう。
実際に、非正規労働者ユニオン系の団体でも、人的リソースが不足しているという話もある。この社会で最も弱い存在が、闘争に無関心であるか、闘争に参加する余裕を持たないのである。


もう一つ、ブラック企業に対峙しうる権力がある。
新聞、TVなどのメディアである。

彼らは弱者、庶民の味方であり、当然ながらブラック企業こそが不倶戴天の敵であるから、小泉の規制緩和がーとかパソナの会長がーとでも言うような記事が、よく紙面を踊らせている。
しかし、彼らは労働者の味方であると同時に、購読者を客とする商業活動を行っているサラリーマンでもある。

ちなみに、ここで当ブログにメディアと商業主義、またはスポンサーとの関係の暴露を期待されても困る。
私はそういう識見は一切持っていない高卒のエンジニアであるので。

彼らが紙面を構成する時に重視するのは、読者の「耳目」である。メディアは耳目を集めることによって初めて権力として成立する、という性質を持っている。

だからそもそもとして、それがどれほど正義感に燃えた記者による告発であろうとも、誰も読まなければ、力を振るうことはできない。紙面は限られている。関連会社の出版社から単行本を出した作家のインタビューを載せるスペースを削ってまで「無力」な記事を載せる余裕はないのである。


今このブログを書いている時点で、ジャパンビバレッジで、労使闘争が行われている。

私も興味深く関連報道を見ていたが、彼らが未払い残業代を求めてストライキを行った、という古典的な闘争(しかし現代においては珍しいことである)を行った記事よりも、彼らの上司が「有給休暇取得権争奪! チキチキ!クイズ大会」をやったことのほうが大きな記事になった。

一方は団体交渉が決裂した末の大規模な労働争議であり、実際に自販機が補充されないなどの社会的な影響も多少あった事件である。
方や、深刻に頭が悪い一人の上司が出した間抜けなメールである。どちらがより、社会的意義のあるニュースであろうか。

後者なのである。私も軽く衝撃があったのだが、紛れもなく後者のほうが「おもしろく」「耳目」を集めるという意味では、こちらのほうがインパクトがあった。

ちなみに、ここで当ブログにジャーナリズムとセンセーショナリズムの(以下略


ともかくとして、現代におけるブラック企業に対して、既存の権力が何ら抑止力を持たないのは明かだろう。

労働組合にしろ、炭鉱でヤクザと殴り合いをしていた頃にはもう戻れないし、
メディアにしろ、労働争議を英雄的行動として後に続けとばかりに国民運動にする気がないのだ。


時計の針は戻らない。もし戻せたとしても、新しいスタンダードを作ったほうが早い(平沢進

もしあなたが、ブラック企業を憎むのなら、その盤石な権力をゆるがすような、独自の活動を展開すべきかもしれない。
それはきっと「おもしろく」世間の耳目を集めて、極めて組織的かつ爽快な方法で、ブラック企業経営者に痛撃を与える存在になるだろう。

そして、それが十分に広がれば、政権は慌てて、「いやーこいつら前々から少子化の原因とかにもなってるし、精神病の医療費増やすし、目障りだったんすよね」とばかりに、ガス抜きに動き出すかもしれない。

現代日本においては、多分これが一番早いと思います。


ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

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