終わりの季節
職場を戦場に例えるのは良い趣味とは言えないが、この会社では的外れではないように思う。
ここではいつも、納期だけが決められた曖昧な仕事がやって来たかと思うと、最後の1ヶ月で決められた仕様や、営業の怒号が、哀願が、テスト不合格の結果や、クライアントから直接送られて来た緊急のメールが、就寝中に鳴り響く着信音が、かつてはエンニジアと呼ばれていた人々の精神を、迫撃砲のように吹き飛ばしてしまうからだ。
誰かが死んだ時は大抵、指揮官であるマネージャーが、朝礼で皆を激励することになっている。
例えば売り上げが去年のそれを上回りそうだ、などと、あたかも会社が順調に進んでいて、ボーナスが奮発されるかのような期待を社員に抱かせようと試みる。
もちろん聞いている方は、白けきっている。
その意図があまりにも見え透いているので、マネージャーが自分たちを見くびっているというよりも、彼にほんの少し残った良心が、ほとんどあり得ない可能性にすがりついているのかも知れない、と思うほどだ。
そして最後に、誰それが退職した、という事実が、ほんの付け足しのように正式に告げられる。
ほとんどのメンバーにとっては、おおよそ察しがついていたことであり、既に知っていることであり、今さら、という話題である。
それでも幾人かは、退職者が座っていた席を横目で見る。
そこには、決して点灯することのないディスプレイや、手垢のついたキーボードや、雑然と並べられた私物のボトルキャップ人形が残っていて、朝礼が終わった後も、誰かが発した妙に高揚した声が、寒々しく反響している。
運良く生き残った者がタフを気どるのも映画で見る戦場と同じだ。
彼らは新入りに、自分が体験した激戦を得意げに語る。
酒が入った時などは、冗談めかした態度で、かつての同僚を偲んでみたりもする。
自嘲気味に「次は俺の番かな」などと嘯いていられるのは、彼にもエンジニアが「終わる」ということが本当のところわかっていないからだ。
彼らはそれを転職の失敗とか、ちょっとした挫折とか、過労が積み重なってとか、そういう言葉で片付けられると思いたがっている。
その思い込みを補強する材料は沢山ある。例えばブログの退職エントリとか、感謝を綴った退職メールとか、勤勉を強制されなくなった彼らの前に広がる途方も無い自由とか、 それに――本当に人が死んだわけじゃないし。
皮肉なことに彼らがこの会社を退職しないのも、結局のところ、「辞める」ということを本当のところで理解できていないからでもある。
昔はまだ、生真面目に送別会が行われていた。退職者を皆が囲んで笑い、思い出話をする。
転職サイトの「未来のための転職」「キャリア・アップ」といった宣伝を、皆で信じこんでいるふりをする。
それが作り笑いによる幻想にすぎないことは、交換しあった電話番号に、彼らが一度も電話もLINEもしないことでわかる。
いつしか、アドレス帳は巨大な戦役の慰霊碑のように、連絡もつかず、顔も思い出せない人々の名で埋め尽くされていく。
今はもう、純粋に人が来ない。
空いた席が埋まることも滅多にない。
好景気と、大手企業が有望なエンジニアを採用し続けた結果、こんな会社にやって来る物好きも、いなくなってしまったのだ。
ようやく見つけ出した、どこかのSES業者の下請けの下請けからやってきた青年は、仏頂面で、まるでコミュニケーションが取れない。
彼もまた、ひどいコードと、直接的な暴言を残して会社から去っていく。
実感のない好景気が、人手不足の時代が、こういった中小企業の現場に与えるものは、有り余る仕事や、利益ではなく、際限のない人材の消耗と劣化である。
とどのつまり、沈没しようとしている豪華客船の水につかった艦首から、人が次々と海に投げ出されているのとそう変わりはない。
他の会社では、東京の一等地では、まだ文化祭の前夜のような高揚の中で、華麗な演奏会が続けられているかもしれない。
ただ彼らもまた、傾いた甲板の上にいる。
4月のオフィスは閑散としている。
儀式めいた正確さで朝9時に始まった朝礼で、今日もまた年度末に辞表を出した者の名前が読み上げられる。
経営者は屍と引き換えに得た売り上げを躊躇なく採用経費にあてて、残った社員に生存者ボーナスとして、雀の涙ほどの分け前を配る。
公開処刑を見物する中世の大衆が、おそらくは罪人の死を自分事と思わなかったことと同様に、世界に繋がった端末を前に、誰も何も見ていない。
ごく身近で繰り返される虚無を見ようとしない。
それは薄汚れた覆面を被った死刑執行人が自分の名前を読み上げるまで続く。
- アーティスト: rei harakami レイ・ハラカミ,REI HARAKAMI
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