megamouthの葬列

長い旅路の終わり

本当に好きなことを見つける方法

ちょっとした論評めいた物を書こうと思って、プロットから書き出してるが、最近「書く」絶対量が減っていて、文章がすっかり下手になってしまっているので、練習がてら一発書きする。


最近、何もする気が起きないし、仕事も簡単なものがポツポツ来るぐらいなので、昼寝したり、日が暮れるとマイスリーを飲んですぐに寝てしまう生活をしている。

眠ると夢を見る。
私の夢の20%ぐらいは大学絡みのもので、他の大学に入り直すためにセンター試験を受けなおしたり、昔いた大学で単位が取れないことに絶望したりする夢だ。きっと中退していることが、それだけトラウマになってしまっているのだろう。

今日は、私が美大生になった夢だった。

夢の中で私は見知らぬ女性とテレビを見ている。女性はポツリと私に言う「芸大ぐらいは出ておきなさいよ」と親に言われたのだ、と。彼女の父親は昔、油絵をやっていて、彼女が小さい頃から絵を描くのを応援した。
「今思うと、父は自分の夢を私に託したのだと思う」と彼女は言った。そしてつけ加えた。
しかしもう、絵を描き続けるのは嫌なのだ。と。

私は息を呑んで、彼女に自分も同じようなものだ、と言いかける、そこで目が覚めた。


実際の私は芸術を好んではいたが、美大や芸大に入るほど、真剣に音楽や美術をやっていたわけではなかった。
学校の進学希望の書類にも、有名な大学の就職に有利そうな、潰しの効く学部を書いておいた。
そんな私の態度を見て、担任はすこし呆れたような顔で「もっと自分が行く大学や学部について調べたほうがいい」とアドバイスした。

私は担任の言葉を鼻で笑った。その頃、私は大学で勉強する、という行為をほとんど無意味なものだと考えていた。
法学をやったからといって、弁護士になるのは一部だし、経済をやって大手企業に入ったところで、やらされるのは営業という名のお客のご機嫌取りだ、と知っていたからだ。

ようするに、有名な大学を履歴書に書けさえすれば、いい会社に入れるのだろうし、親もそれを望んでいるし、だったら好きなことをやるために、聞いたこともない大学に行くなんて馬鹿げた話だ。というのが当時の私の考え方だった。

私の家族は皆、そこそこ有名な大学を出ている。母だけが無名の地方大学を出ていた。だが、それは貧乏のせいだ、と彼女は言い張った。
「私の家が裕福だったなら、私は東大や京大ぐらいには入れた筈だ」
というのが彼女の口癖だった。なので息子である私にも「順当に」有名大学に入るよう要求した。

私はというと、そこそこ真面目に勉強しさえすればテストで良い点を取れることは知っていたので、そのうち「順当に」有名大学に入って、「順当に」大手企業に入るのだろうな、と漠然と考えていた。

当時から好きなことはあった。音楽がすきだった。プログラムを書くのも好きだった。人と話すのが好きだった。文章を書くのが好きだった。

でも、本当に好きなことがあったとしても、才能もないのにそれを生涯の仕事として探求することなど愚か者のすることだ。「真っ当な」人間は本業の合間に趣味で、ほんのちょっとその「好きなこと」の片鱗を垣間見て、それで満足するものなのだ。
つまりは本当に、人生など、安易で、クソくだらないものなのだ。まったくお母様の言うとおり、と私は考えていた。



母と私の、この世の中を舐めきったプランは、私が20歳ぐらいの時までは「順当」に進んでいた。だが、以前から書いているとおり、私は途中で契約を破り、大学を辞めた。
そして今、大手企業の営業どころか、無名のフリーランスプログラマになって、聞いたこともないような大学の出身者や、高卒の人たちと一緒に仕事をしている。


大学を辞める前後、「後悔するぞ」と色々な人に言われた。私もそうだろうな、と思った。

だが、あれから20年近い日々が過ぎ、今だに後悔はしていない、後悔するとしたら母親の口車に載せられて、自分の好きなことをないがしろにして、履歴書にして2行たらずの体裁にこだわったことだけだ。

私は今、本当に好きなことをやっているし、やってきた気がしている。
プログラミングで生計をたてているし、色々な経歴の人と話してきたし、反吐を吐くほど音楽をやった。そして今、こうして文章を書いている。

もし、私が進路調査票を書こうとしている若い自分に会ったら、こう言うだろう。
「本当に好きなことをやれる人生を考えろ」と。

だが、それも無理なことだろうな、という思いもある。18かそこそこの若者に「本当に好きなこと」を問うても、そんなものは「ない」に決まっているからだ。


自分が、それを本当に好きなのかどうか、それは好きなことをやってやってやりきった、探求の末にわかるものだからだ。


納期に追い回されながら、一日13時間ぶっ続けでプログラムを書き続けて、それでも完成せずにクライアントから嫌味を言われた時。

あるいは、フレーズの良し悪しが全くわからなくなるまで、演奏を録音し続けたのに、完成した曲が自分の心を全く動かさなくて、絶望した時。

または渾身の小説を書き上げてブログに掲載したのに、ブクマの一つもつかない時(ここ読者に対するメッセージ)

それでも、もう一度立ち上がって、それをやり続ける気が自分にあるかどうかでしか、本当に好きかどうかはわからない。


本当に好きなことを見つけるのは難しい。しかしほんの少しでも「好き」と感じたのであれば、それを見分けるチャンスが与えられたのだと考えることはできる。
人からやれと言われたり、周囲になんとなく勧められたところには「本当に好きなこと」は、決してないからだ。

なので、そういった「好き」の芽を大切に育てること、それが「本当に好きなことを見つける」方法と言えるかもしれない。


ただ、そういった人生が「幸せ」かどうかは別問題だ。好きなことを探求し続けることが、いい人生だとか、そんな事は一言も言っていないことに注意してもらいたい。

ただ、望むと望まざるにかかわらず、こういった生き方をすることで、ある種、自由で壮絶な人生を送れることは保証する。


私が、夢の中の女性に伝えたかったことはそういうことだった。と早朝の私は思った。