megamouthの葬列

長い旅路の終わり

汎用機とその風景

マウント

1999年頃だったと思うが、小学校からの幼馴染と会う機会があった。

その頃、私はまだ大学生で、幼馴染は高校を卒業して、なんとか情報サービス、という名前のIT系の会社に就職していた。
思い出話に花を咲かせた後、お互いの近況に話が及んだ。
私はいち早く「社会人」になった幼馴染の世界がどういうものか知りたかったので、早速、仕事について尋ねた。

「一応、IT系やけどな」

と、なぜかその時、彼は顔を曇らせた。

「やっとるのは『マウント』や」

マウント?私にはさっぱり意味がわからなかった。
幼馴染の顔からはそれ以上聞いてくれるな、という様子が見て取れたが、私の興味のほうが勝った。
私があまりにしつこく『マウント』について尋ねるので、根負けした彼は一から説明してくれることになった。

「毎日セキュリティゲートを通って常駐先の建物に入るんや」

「厳重やな」

「なんせその建物全体がでかいコンピュータールームみたいなもんやからな。
そんで、俺のいる部屋にはテープが山ほど積まれとってな。真ん中にテープを入れる機械があるんや」

ほう。と私はさらに興味を持った。大型のコンピューターに磁気テープ装置というものがあるということは知っていたが、実物を見たことはなかった。

「そんで、テープの機械に小さなLCDパネルがある。そこに"mount 005"とかいう表示が出るんや」

「ほう」

「そしたら005ってラベルがついてあるテープを探してきて、テープを入れる。そしたらテープ装置がそのテープを読み込み始める」

「うんうん」

「しばらくしたら、テープがイジェクトされて、今度は"mount 131"とか出るんや」

「…?」

「そしたら005のテープを戻して、131のテープを入れる。これが『マウント』や。」

「それだけ?」

「それだけや。一日中これをやっとる。」

私は絶句するしかなかった。そんな作業、ロボットでも出来るではないか。

「ああ実際そうやで。俺のいる部屋の上の階ではロボットがそれやっとるらしいわ」

と幼馴染は悲しそうな顔をした。

彼が黙っている間、私は腕を組んで考え込んだ。そもそもテープを入れ替える必要があるのか、と思った。大容量のHDDを沢山繋いで、そこに全てのデータを入れれば済む話なのではないか、と。

「知らんよ。俺は言われたことをやっとるだけやからな」

その疑問を口にした私に、彼は不機嫌そうに返答した。



1年後、彼は『マウント』の仕事から解放されたと嬉しそうに電話してきた。今の彼は端末(ターミナル)をあてがわれ『オペレーター』になったという。

「どんな仕事なんや?」

懲りずに私は尋ねた。

「手順書っちゅう、でかいバインダーに綴じられた紙の束があってな。そこに書いてあるようにキーを打つんや」

「そんで?」

「それで、端末に手順書どおりの画面が表示されたかをチェックする。合ってたら、次に進む。これを最後までやるんや。」

「もし、違う画面表示になったらどうするんや?」

「すぐに、内線で違う部署の人に電話するんや」

「ふむ」

「後はその人がなんか端末いじってなんとかするみたいやな。俺にはわからんけど」

「そうか…」

なんだか、『マウント』の頃とそう変わらない気がしたが、それでもキーボードを叩けるだけマシなのかもしれない。
心なしか彼の声も弾んでいるような気がした。


数年後、風の噂で、その幼馴染は会社を辞めたと聞いた。詳しい事情は知らないが、無理はないと思う。

VisualBasic

大学を中退した私は、小さなWeb制作会社に転がり込んでいた。
PerlCGIを書いていた私に社長が言った。

VBVisualBasic)できるか?」

「BASICはやってましたけど。MSXで。」

「そうか」

どうもWebの仕事が切れたらしい。気がつくと私は社長に連れられ、ある大手企業の子会社の会議室に座っていた。

「ずいぶん若いね。」

出てきたシステム部の部長が、私を見るなり言った。部長は仕事の内容を大まかに説明した。

1ヶ月ほど常駐して、Oracleと接続するVisualBasicアプリの機能拡張をして欲しいということだった。

「経験は、『オープン系』だけかな?」

と部長は言った。私はその時初めて『オープン系』という言葉を聞いたので、何とも答えられなかった。

「ええ、そうなります」

代わりに社長が答えた。

「まあ、SQLがわかるならなんとかなるでしょう」

と部長は笑みを浮かべた。


帰り道、私は社長に尋ねた。

「オープン系って、オープンソースのことですか?VBOracleも別にオープンソースじゃないですよね?」

「違うと思うけど、俺もようわからん。VBOracleJavaも『オープン系』って言いよるな。あの時代の人は。」

と社長は言った。

その仕事で、私は生まれて初めてVBプログラムを触った。大丈夫だろうか、内心は思っていたが、中身を見て拍子抜けした。

そのVisualBasicアプリでやってることは、Oracleに接続してSQLを文字列結合で生成して投げ、返ってきた内容をそのままGUIに表示しているだけなのだ。

本当にSQLがわかれば、なんとかなる仕事だった。若い私はVBプログラミングにもその会社にも1日で慣れてしまった。



ある時、オフィスの片隅に冷蔵庫を横倒しにしたぐらいの大きさのコンピューターがあることに気づいた。

「あれは何ですか?」

親しくなった社員の人に尋ねると

オフコンだよ」

と教えてくれた。オフコン(オフィスコンピューターの略)とは小さな汎用機のことで、つまりは、PCの先祖にあたるコンピューターのことである。

そのオフコンにはオレンジ色の文字が表示されるディスプレイの端末がついていて、たまに総務の人が触っていた。

「給与計算に使ってるらしいよ」

と社員の人は言った。


時々、違う階にいるおじさんの社員がオフコンの端末を、大きなバインダーを片手に操作するのを見た。

なんとなく、その様子を見ていたが、おじさんは特に考えるでもなく、機械的に端末を操作していて、一定の手順を終えると、すぐに帰っていった。


それはまるで、水車小屋の番人が、とりたてた感情を浮かべるでもなく羽根板の手入れをしているように見えた。

メインフレーム


昨日の夜。暇なのでなんとなくメインフレームについて調べていた。
TSO、CICS、JCL。『オープン系』の我々には想像もつかないエキゾチックな概念と単語が並ぶ楽しいサイトを見つけた。

www.arteceed.net

そこにこんな記述があった。

メインフレームコンピュータはシステム規模が大きいため、一人で仕事をする事はできません。
業務によっては印刷物をお客様に郵送するために、毎日葉書を圧着しては郵便局に送る仕事をされている方もおられます
これらの仕事に従事されている方々はメインフレームに触れることはありません。
しかし、これらの方々があってこそのメインフレームコンピュータシステムである事を忘れないようにしたいです

なるほどシステムか。

かつては人もコンピューターとともにシステムを構成していたのだ。

今もそうかもしれないが、2016年の『オープン系』プログラマの私にとって、それは良くも悪くも遠い風景のように思えるのだった。