megamouthの葬列

長い旅路の終わり

ずっと夜で

入った会社はWebサービスをやっていた。アクセスカウンターとかレンタル掲示板みたいな、そういうプリミティブな感じのウェッブ。今でも化石みたいに残っているとこがあるよね。teacupとか。もうないか。
当時はそういうことをしている会社をASP(Application Service Provider)と呼んでいて、「うちはASP事業やってるんです」と言うと通りが良かった。
名刺代わりっていうのかな、何が出来るのか、うちはこんなに技術力あります、ってのをさ、運営しているWebサービスで表現するわけ。同業者が集まったらさ、世間話している風で、自分とこのサービス自慢しまくるんだよね。なんかこう、いやあ負荷高くて、この前もサーバー落ちてぇとか、うちのユーザーは中学生が多いんでぇとか、今で言うマウントの取り合いだよね。どこも流行ってないからさ、意味のわからないとこで競ってるんだよ。

プログラマ的にはAjaxとか無かったから何やってもページ遷移しちゃうわけで、セッション使える、ってのがまずステータスだよね。ブラウザのページ遷移でアプリみたいな使い心地をどう実現するかっていうところでしのぎを削ってた。結局、決定ボタン押すたびに画面真っ白になってローディングするんだけどね。全然近づいてなくてヤバいんだけどさ。夏休みの工作で画用紙入れ替えてテレビ作ろうとするみたいな感じ、でも、なんかそういうのが偉かったんだよ。


儲からなかったよね。うちみたいな零細でも4000万PVはあって、アクティブユーザーも1万ぐらいかな。ブロガーだったら豪華客船に乗るぐらいの収入にはなるんじゃない?知らないけど。でも昔だからいい商材ってなかったし、サービスと広告って相性悪いからさ。
普通に考えてフッターのバナーとかクリックしないじゃん。ブログ書いてて、気になったからっていきなりフェロモン香水買わないじゃん。CTRとかクソのように低いし、成果報酬なんて嘘みたいにもらえなかったよね。収入が3万ちょっとの月とかあったよ。サーバー代で消えるわっていう。

そういや、サーバーもひどかったね。さくらの専用サーバー1台きりでさ。そこに3万ユーザーぐらい押し込むわけ。100M共有回線。8Mぐらい出たら調子いいなって感じだったかな。シングルコア、メモリ2GでApachePostgreSQL同居とかでさ。今だったら頭おかしいんか、って構成だよな。はてながラックに自作サーバー詰め込んでるの羨ましかったな。社員の車でデータセンターの引っ越ししてたよね。2シーターのインプレッサに物理サーバー積み込んで。それ京都の峠攻める車じゃん、他に車ねえのかよっていう。どうでもいいか。

ASPって楽しいんだよ。Webのダイナミクスっていうのかな、リリースするじゃん、すぐ誰か見るじゃん、そんでポコポコってアカウントが増えてくわけ。tail -f で流れるログがさ、みんなIPが違っててさ、色んな人が自分の書いたあのコード動かしてるんだ、っていうのがみんな見えるんだよ。うわあってなる。じんわりなる。今の人も味わうべき。でも2chに使えねーサービスとか書かれてムカついたりするんだけど。一切言及されないのもそれはそれで落ち込むんだけどさ。

あの当時、ASPって見栄だったよね。零細企業がWebサービスなんてまともに運用できるわけないんだよ。そもそも。今と違ってサーバーもバッタバタ落ちるわけよ。それを24時間365日監視するわけ。無理に決まってるじゃん。nagiosで異常レスポンス出たら、個人の携帯にメール飛ばすようにしてさ、*CRITICAL*とか見てゾッとしてさ。GWも夏休みも正月休みも、みんなつっても3人しかいないんだけど、調整して必ず一人は連絡取れるようにしてね。それでも実家にいる時に電話かかってくんだけどさ。なんとか帰ろうとしてね。なんであんな一生懸命だったんだろうね?

ロードアベレージが跳ね上がって、まさかの100超えとかね。スワップが遅すぎてプロセスが動かないわけ。FreeBSDってそれでもログインできるんだよ。入っても何もできんけど。
ガン上がりしたテンションで復旧作業したね。深夜にタクシー飛ばしてさ。手当とか一切出ないんだけど、ユーザーが困ってると思ったら胸がキュッとするし、義務感にかられてたね。作業中にオフィスの電話が鳴って、思わず出たらユーザーだったとかそういう時代だから。電話口で「困ってるんです」って延々言われて、うーん。気持ちはわかるんだけど、あなたの話を聞いてる限りずっと復旧しないんだよね、っていう。

カーネルチューニングとか、MySQLのパラメーター調整とかさ、StackOverflow無し縛りだからね?ねえんだよ情報。技術記事書いてるの、オフコン育ちの自宅サーバーおじさんとかだからさ、インストール記事で終わりなんだよ。そういうシステムを余裕のないサーバーで超ハードに使ってるの、零細でWebサービスやってる馬鹿しかいねえからさ。
ノウハウがないわけ。今まさにサーバーが止まってるのに、試行錯誤するしかないわけよ。色々やったな。誰かがCで書き直してApacheモジュールにしましょう!とか言い出した時はさすがに止めたけどさ。そういや、はてなMySQLのデータファイル全部RAMディスクに突っ込んで「すっげえ速くなった」とか言っててさ、そら速えだろうよっていう。しかも何かのイベントの時にそれを得意げに海外のコミッタに言ったらしくて、普通に"insane"って返されてたよね。あれめっちゃ笑ったわ。


一つだと全然儲からねえから、次々サービス作って、リリースしたよ。今思うと普通に受託やりまくったほうが明らかに効率いいんだけどさ、あれやってると心がすさむからさ、日銭稼いでいる間に、サービス作って一発当てるぞみたいなね。そういう希望にすがりつくアホみたいな戦略。みんなよく付き合ったよね。

なんかFlickrが日本で話題になった頃だったかな、なんかうちも写真関連で一つ、ってなってさ。Flash得意な子が、いい感じのスライドショー作れたからさ、これコアにしてやろうかってなって。なんか半年ぐらいやってたんじゃないかな。受託の合間に作ってるんだけど、全然完成しないの。ユーザーフォーラムまで自作してたから。アホかっていう。

そうこうしてるうちにライブドアFlickrのUI丸パクりしたサービスリリースして、丸パクリはさすがに炎上したんだけど、なんかそのサービスもイマイチ流行らなくてさ、あれ?って思ってたけど、いい加減リリースしないといけないから発表してさ。

バイラルとかないからさ、なんかよくわからないプレスリリース代行みたいなとこに頼むわけ、1万でいろんなとこにリリース打ってくれるみたいな。まあFAXしまくるだけだね。
なんの反響もなくてさ、2ch見ても一切載ってなくてさ、かかってくる電話、全部「FAX拝見しました。それはそうと、うちに広告出しません?」みたいな営業だけでさ。あれれ?ってなって、しばらくたっても、ほとんどユーザー増えなくてさ。

なんかその時に、終わったのかな、って思った。みんなそう思ってたんじゃないかな。もうこのメンバーでサービス作っても、リリースは遅いし、クオリティも低くて、戦えないんだな、って。

朝、会社出たらみんな気落ちしてるわけ。なんとか慰めようと思ってさ、Human LeagueのOctopusってアルバムがあるんだけどさ、って話してさ。ボーカルのフィルが言ってるわけよ。「確かにこのアルバムは売れてない。でもこれは、落ち目のバンドが何かを見出して作ったアルバムなんだ。僕はこのアルバムが大好きだよ」って、何の話なんだよ。でも実際、気に入ってたよ。管理画面の一生懸命な感じとかさ、アップロードが快適にできるようにした工夫とかさ。まあでもユーザーはつかなかったよね。最終的には100人ぐらいだったんじゃないかな。


そうやって、けっこうなサービスをリリースしてきたけど、なーんもないよ。エキサイティングな仕事も来なかったし、お金にもならなかった。最後には体壊して会社辞めちゃったし、いつのまにかサービスも全部無くなったらしいし。あのへんのサービス、今でも覚えてるユーザーが何人いるんだろうね。こっちは古すぎて職務経歴書にも書けねえよ。

たまに思い出すんだよね。夜中の3時に汚い雑居ビルの一部屋だけ蛍光灯がついててさ、タクシー降りて駆け足で階段昇っていってさ、先に着いた同僚がブラウン管ディスプレイ睨みつけててさ、TIMEWAITという文字が並んでてさ、すっげえ焦ってるんだけど、どっか冷静でさ、ガラス窓から自動車のヘッドライトが入ってきてさ、すぐに静かになってさ、音のしない街があって、動き続ける時計があって、点滅するIntel NICがあってさ。

だから、ああいう夜は良かったよね。目が冴えて、変な笑いがあって、全然疲れない体があって、今思うとさ、それはずっと夜だった気がするんだよ。


Octopus

Octopus