megamouthの葬列

長い旅路の終わり

中国のIMCO TRIPLEX SUPER

ベランダに差し込む風は冷たく、衣服や皮膚をなんなく素通りして、肉体の芯と、対応する私の精神の核心を怯えさせた。

私は煙草に火をつけようとして、愛用のオイルライターであるIMCO TRIPLEX SUPERを探したが、いつも置いてあるガーデンテーブルの上には見当たらなかった。
結局のところ、それは枯れ果てて無残な様相を呈している植木鉢の中に見つかったのだが、軽くもないIMCOが風に煽られてこんなところまで飛んだとは信じられなかった。

私はIMCOを拾い上げて、ステンレス・スチールに刻まれた造形を何気なく眺める。

それは冬の低すぎる太陽に光って、時には安っぽく、70年代の不良がゲームセンターで仲間にひけらかしているようにも見えるし、時には気だるく、アイリッシュパブで労働者の野太い手に握られているようにも見えるのだった。

*

今の中国製IMCOの美点はつまるところ、この造形の「凝り方」にある。あくまで「凝り方」であり、質感が良いとは言いがたい。
ステンレススチールは、重厚とは程遠く、何かの拍子にバラバラになりそうな危うさがあるし、握った感覚も「悪くはない」と言った程度のものだ。

程よい重さでは、ある。あるにはあるのだが、本当にライターとしてちょうど良い重さというだけで、その機能や機構の必然としての重さ、という印象を不思議と受けない。
重量計で測れば、オイルを染み込ませたフェルトを含めて正確に○gと出るであろ、という重さである。

散々けなしてきたが、これにはそれなりの理由がある。
このIMCO、点かないのである。

買った当初は、良かった。
オイルライターといえばZippoだが、それと違って、IMCOはワンアクションで着火する。
蓋の端を軽く抑えると、バネが跳ね上がって、カチャッという小気味良い音を発し、同時に回転したヤスリから火花が散り、開いたばかりの芯から吹き上がった揮発したオイルに着火する仕組みである。

私は届いたIMCOの蓋を子供のような無邪気さで何度も跳ね上げ、不思議な機構の結果としての炎を見て楽しんだ。

しかし、2日ほどすると、火花ばかりが散って、炎が上がらず、点くのは5回に1回という有り様になった。
フリント(発火石)の減りが早いのかもしれない、と考えて、まだ充分長さの残っているフリントを捨てて、新品に入れ替えてもみた。
そうしても最初の数回、着火するだけで、しばらくすると、また点かなくなるのである。

*

点かないライターというものがこれほど不快なものだとは、正直その時まで思っても見なかった。

Zippoライターを使ったことのある読者はいるだろうか?
おそらくZippoが点かない、という事を経験されたことがある読者は少ないだろう。
フリントが摩耗して数mmになってしまっていたり、オイルが切れていたりするのなら別だが、あの大げさな蓋を跳ね上げ、ヤスリを回転させれば、確実に着火したことだろう。

実のところ、Zippoもヤスリの回し方が悪ければ、点かないこともあるのだが、それでも、もう一度力をこめて回せば確実に点火する。

反面、IMCOは、着火に失敗すると、一度蓋を閉めなければならない。
また、Zippoのように「力をこめる」ということもできない。あくまでヤスリを回すのはバネで出来た「機構」の役割で、点くか点かないかに、人の技が介在する余地がない。
自然と、カチャッカチャッと何度も蓋を開け閉めすることになり、蓋が跳ね上がるあの小気味よい音が、一転、なんとも惨めな、失敗のリズムを刻むことになる。

すっかり嫌気のさした私は、傍らの100円ライターを使って煙草に火をつける。
そして、このライターとしての機能を半ば失ったIMCOを恨めしげな目で眺めるのである。

*

諦めが悪い私は、それでもネットでIMCOについて調べても見た。フリントは純正のものもいいがWINDMILLのものも良い、とある。
また機構が複雑なので、ヤスリやオイルタンクのこまめな掃除が必要である、ともあった。

調べている最中に知ったことだが、IMCO TRIPLEXというライターの原型はオーストリアで1912年に作られたのだという。Zippoは第1次大戦が終わった後だから、それより古いことになる。

私はここで、IMCOの造形の「凝り方」に合点がいった。

喫煙に加えて、結婚できない男の特徴のほとんどを兼ね備えている私は、少しばかりミリタリー系の趣味も嗜んでいる。

上から見た時、IMCOは銃口を抱いた拳銃を正面から見たような形をしている。オイルタンクに至っては銃弾そのものだ。
蓋を開けるバネと、フリントを押し付ける2種類のバネ。基本的には蓋とヤスリだけしかない単純明快なZippoの機構との対比は、ドイツを代表とするヨーロッパの兵器とアメリカの兵器の発想の差そのものだと思ったのだ。

美しく巧妙だが、壊れやすいヨーロッパ的な合理性と、無骨だが大量生産が効き、結果的には丈夫で実用的なアメリカの合理性。

その対比が、ライターにも現れているのである。

*

またレビューやマニアのブログなどを見ると、今のように中国で作られるようになる前のIMCOも当たり外れが激しく、点かない個体はとことん点かなかったそうだ。

なるほど、この個体は「外れ」であったということか。

と私は納得した。
そして、返す返す鉄製からステンレスになった中国のIMCO TRIPLEX SUPERの造形を眺めて、「上手く出来てるのになあ」と独りごちるのである。


冬の風が、ベランダで立ち尽くした私を責めたてている。私は2本目の煙草をくわえた。
手にはIMCOがある、半ば無意識に蓋を手をかける。祈るでもなく、諦めるでもなく、ただ無心に蓋を跳ね上げる。

私のIMCOがその小さな風防の中で、こっそりと炎を上げた。