megamouthの葬列

長い旅路の終わり

業務改善を現場に求める狂気

前回までのあらすじ

ボトムアップ型業務改善の代表格であるトヨタカイゼンが多くのIT企業に適用できないことを悟って絶望するmegamouth。錆びた斧を交換できない木こりはやはり愚昧なのだろうか?それとも我々はトタン屋根の上の猫のように日が傾くことをただ念じるべきなのだろうか?(どうでもいい)

一人で始める業務改善。その狂気

まず、本エントリは末端IT土方が一人で業務改善を行おうとすると、どのような事が起こるのか、というおかしな話をしようとしている。大げさでなく、業務改善をたった一人で行うというのは、山に篭ったランボーが、襲い来る警官たちを全員サバイバルナイフとブービートラップで惨殺するような話である。この孤独な戦いには何の支援も期待できないし、あなたのサービス残業時間は確実に増加するし、精神的な負荷も大きい。にも関わらず、成功してもあなたが正当に評価されるかはわからない。経営者のガレージに新車のBMWが一台増えるだけかもしれないのだ。

ただ唯一、確実にあなたに残るものがあるとすれば、怠惰を美徳とする古のエンジニアの矜持であり、クソくだらない慣行を終わらせることで、自分が機械や歯車でなく紛れもなく人間であったという証明のみである。

それで、いい、という人間が仮にいたとして、彼の努力がどのような方向に向かうかを書いてみたい。

一人でできる業務改善のアンチパターン

一人で業務改善を行うというのは実はそんな特殊なことではない。ようするに日々降ってくる仕事があまりにも退屈でつまらないので、自分が楽をするために勝手に業務改善をする、ということは多少素養のある人間なら、けっこうやっているものだ。だが、残念ながらそのような行為は得てして同調圧力の中で異端として吊るし上げられる結果となる。

まずはそのようなアンチパターンを幾つか上げておきたい。

Excelマクロ症候群

エンジニアでも、Excel方眼紙に書かれたドキュメントや、どっかの数字を日々書き写すだけのExcelシートを扱うことは多い。そういうことが多くなってくると、ついExcelマクロなどを組んで、作業を自動化してしまい。「ほら!1時間かけた作業が5分に短縮された!」とやってしまうものだ。

実はこの行為自体はアンチパターンとは言えない。むしろ有益な行為である。個人の生産性の観点では、作業の時間短縮というのは王道と言えるだろう。

問題となるのは、この向上によって得られた生産性の向上はあなたのみが受けているということだ。これは同時にボトルネック(あなたのExcelを受け取った人間の作業能率は変わらないので、そこで作業が停滞することになる)を生み出すことになる(そうして全体の作業効率はほぼ変化しないことになる)。ならば、とあなたは作ったExcelマクロを安易に同僚と共有して、全体の効率化を図ろうとするだろう。これが全ての間違いである。

1時間の作業が5分に短縮できたのなら、あなたの作ったExcelマクロはきっと有用に違いないし、みんながマクロを共有して余った時間をもっと有益に使いたい気持ちはわかるが、そこには「プロダクツをリリースするからには「責任」が生じる」という視点を欠いている。

きっとあなたのマクロは最初は熱狂的に受け入れられるが、一度そのマクロのバグが他人のExcelで発生するや、その結果責任はあなたが負うことになるし、ひどい場合には、そのマクロに欠いた機能を実装する責任まで背負わされるだろう。結果としてあなたの貴重な時間は削られ、稼ぎ出した55分間の余剰はExcelマクロのメンテナンスという作業に費やされることになるし、調子に載って受けた他の仕事はあなたのサービス残業時間を増加させる。結果として確かに全体の効率化はなされるかもしれないが、あなた自身が新しいボトルネックになってしまうことになる。

また同時に、世の中には、ひたすら単調な作業を正確に繰り返すことを生存戦略としてしている人間がいることも忘れてはならない。彼らにとってあなたのマクロは福音ではなく、ただ仕事を奪い自分の生存を脅かすものに他ならない。

まあ大体において、一人でExcelマクロを組んで得意がる人間というのはそういう人間を唾棄しているので、彼らがクビになったらいいぐらいに思っているのかもしれないが、経営者が信頼するのはむしろ、正確に言われたこと確実に実行する人間であり、あなたのことは「おもしろいやつだなあ(なんかの役にはたつだろう)」ぐらいに思っているものだ。その視点で見れば、むしろ不要だと判断されるのは、Excelマクロを完成させたあなた自身かもしれない、ということを忘れてはならない。

もしあなたがどうしてもExcelマクロを共有したいのであれば、すぐさま会社を辞職して、そのマクロを保守費用込みで会社に売りつけるべきであって、その覚悟がないのであれば、Excelマクロは秘匿し、余った時間をエロサイトめぐりに使用して、上司が後ろに来た時のみ、Excelシートを開く技量を身につけることだ。

システム(ツール)万能論

世の中には業務改善系のツールは色々とあり、例えばRedminetrac、gitやそのフロントエンドであるGitLab、Jenkinsといったものを導入すれば、今すぐにでも業務改善ができるような錯覚を起こす。

もうくどいほど書いてきたのでさすがにわかると思うのだが、ITシステムは魔法ではない。それらのシステムがあなたの考える業務のボトルネックを解消する要件を備えていたとしても、同僚が抱える問題が同様であるという保証はどこにもない。

もし、そんなところに、あなたご自慢のRedmineなりGitLabなどを持ち込んだとしても、ターミナルすら開けず、英語も読めない人間は困惑するだけであり、3ヶ月後のRedmine上にはあなたが作ったチケットが未解決のまま並び続けることになるだろう。

これは自身の問題を全社的な問題として捉えてしまったことによる結果である。もしあなたがシステムの導入と利用を強行に勧めるのであれば、あなた自身がそれだけの権力を手にして、粘り強く、例えばメールで作業依頼がある度に「redmineチケットを使用してください」とテンプレート返信を送り続けるなどして、周囲にシステムの有用性と、それによって解決する問題を啓蒙し、「redmineキ○ガイ」と仇名がつくように振る舞う必要があるだろう。

逆に言えば、そういった覚悟なしでこれらのシステムを独断で導入することは全くの無駄である。

知識万能論

これらの試みが上手く行かなかった結果として、あなたはこう考えているかもしれない「どうも彼らは思った以上に愚昧なようだ。まずは全体のレベルの底上げを計らなければ」と。

そうして、就業時間後にCodeComplete輪読会などといった、意味不明の勉強会が発足することになる。全員に意欲があるのならそれでいいのだが、おそらく第1回目の勉強会が終わった後に、あなたは周囲の問題意識の薄さに気づいてしまうだろう。得てしてこうした勉強会で最初にやる気をなくすのは主催者である。もはやどうでもよくなってしまったあなたはサイボウズで会議室を確保することすら忘れてしまい、勉強会はCodeCompleteの30Pあたりで自然消滅する。

残された同僚はあなたを尊敬するどころか「なんか綺麗事を言って勉強会という名のサービス残業を強いる迷惑な先輩」程度の認識であなたを扱うようになるのである。

アンチパターンから得られた教訓

以上、一人業務改善あるあるエピソードを並べてみたが、ここから得られる教訓は以下のものである

  • 自分の作業だけを局所的に最適化しても、新たなボトルネックが生み出され業務改善にはあまり意味がない。
    • 最適化はコミュニケーションといった全体の情報伝達であったり、極端なボトルネックの解消に向かうべきもので、あなたの問題を解決することで、効率化が図られるケースは少ない。
  • システムは魔法ではない
    • システムとは電算化、ネットワーク化されたワークフローそのものであり、システムの導入とはワークフローの強制を意味する。あなたにその権利と、同僚を説得する覚悟があるかを自問する必要がある。
  • 他人とは分かり合えない
    • 何をしようが、他人と問題意識を共有することはできない。できるのは他人の問題意識を「知る」ことだけである。

なぜボトムアップ式の効率改善努力は無駄なのか

これらの事例を逆説に見てみると

  • 業務のボトルネック、または無駄を見出す広い視点を持つ
  • ワークフローの強制と、システム化をする
  • 社員それぞれの問題意識を知ることができる
  • 結果責任を負うことができる

さえできれば効率化は可能であると言える。

これはようするに経営者のことである。経営者が業務改善に興味を持ち、コンサルを雇うなり、社員を昇格させてタスクフォースを組むなりしない限り業務改善は成功しないということだ。

なので、我々はその日がくるまで、錆びた斧を振るい続けるべきだし、コンサルの若造をテンプレ通りにバカにすべきなのだ。こうして愚昧な労働者という概念は固定化される。というより、我々は愚昧な労働者を演じることを強制されているのだ。

我々に何を期待しているのか?

と、全経営者に告げて、本稿を終わる。


カイゼンできない業界もあるんですよ

brevis.exblog.jp

を読んだ。
要約すると、「業務改善には一時的にコストがかかるけど、そこは頑張ってやらないとジリ貧になるよ」ということなのだが、末端のフリーランスIT土方の立場から言わせてもらうと「知らねーよ」という感想しかない。

まあそれだと話が終わってしまうので、私がサラリーマンで、末端の平社員IT土方だと仮定して、ボトムアップ型の業務改善が成立する条件を考えてみたい。

カイゼンする空気を作るということ

カイゼンと言えばトヨタであり、トヨタといえばカイゼンだが、噂によるとトヨタの工員たちは、頼まれもしないのにガンガン作業をカイゼンさせて勝手に作業効率を上げていき、いよいよ自分の工程がカイゼンできないまでに最適化されてしまうと、ロボットに置き換えられ、今度は自動化されていないラインに移動させられ、再び自工程を一からカイゼンできることに涙を流して喜んでしまうほど「カイゼン空気」が流れているらしいのだが、そういった「空気」が現場に流れているのであれば、経営者や上長は特に何もしなくても最高の稼働率を手にすることができるわけで、大変素晴らしいことである。

問題はどうしたらそういう洗脳ができる空気が作れるのかだが、酔っ払った時に買ったトヨタの本があったので、カイゼンの項目についてパラパラ読んでみたところ

  • 作業をカイゼンするための視点や気づきなど、テクニカルな部分のサポート(教育)
  • カイゼンできるアイデアを上長にレポートで月一で提出させる(コミュニケーション)
  • カイゼンを実施する、失敗した場合は会社でリカバーする(リスクの許容)
  • 結果に応じて表彰したり報奨金を与える(インセンティブ)


というポイントがあるようだった。平たく言えばこのようなことを導入できれば、現場の作業効率など勝手に改善していくのですよーということを、トヨタをクビになった社員がセミナーや本を書いて喧伝し、実際に同じようなシステムを色々な会社に取り入れさせている筈なのだが、実際のところ世の中がトヨタ化されているようには全く見えない。

このことから察するに、トヨタ式のカイゼンは、間違って伝えられているか(つまり元トヨタの講師が全員嘘をついているか)、または車を作る時にしか応用できないという話なのかもしれない。

ここではまず、なぜトヨタで「カイゼン空気」が成立し、例えばIT業界などでは成立しないのか、ということを考えていきたい。

雇用の安定と年功序列

先に、カイゼンを行うには「教育」と「コミュニケーション」が必要だということを言った。この二つが意味を持つには雇用の安定と年功序列が不可欠である。

昔、ある中小規模の制作会社にいたことがあったのだが、社内MLに定期的に業務改善のアイデアを送ってくる人がいた。内容は「全員CodeCompleteを熟読しよう」とか「タスク管理システムの構築が必要」とか、日々の作業に追われている我々にとっては「いいとは思うんだけど、そんな暇ねえよ」という内容であり、上長ならまだしも、送り主は他部署の平社員の若者だったので、私はメールが来る度にゴミ箱にドラック&ドロップしていた。

喫煙所で、古株の社員に「あれなに?」と尋ねたところ、事情は知らないが彼の部署は社内ニートを飼育する左遷先として有名な部署であり、ほぼ仕事がない中、必死にああやって業務改善のアイデアを送って、あわよくば復帰しようとしているのだよ。と教えてくれた。

この逸話は二つの教訓を我々にもたらしてくれる。

  • 暇な人間の思いつきは誰も聞かない
    • なぜなら忙しい現場で実際に通用するアイデアではないことが明白だからである。
  • 牢獄から聞こえてくる悲鳴に耳を傾ける者はいない。
    • 業務改善の提案はボトムアップとしても、必ず上長の評価とお墨付きをつけなければならない。

こうならない為には、まず雇用の安定が必要である。トヨタの工員は高卒で工場に入り、黙々と作業をこなしながら、カイゼンのテクニカルな面についての教育をじっくりと受けることができる。3年も働ければ、現場でもそれなりの地位があるし、彼の思いついたアイデアはそれなりの説得力を持つことになるだろう。

次にそれを評価する上長は、アイデアを評価するために現場に精通していなければならない。つまり上長は工員なり、現場からの叩き上げが好ましい。年功序列で出世することは昨今非難されることも多いが、現場に精通した管理職をその経験年数に応じてほぼ自動的に成立させるという意味においては、年功序列制度はわりと効率的な制度であることがわかる。

財務基盤とリスクの許容

最後は「インセンティブ」と「リスクの許容」についてだ。言うまでもなく、インセンティブとしてボーナスを出すのなら、会社に金がなければいけないし、稼働率を20%もあげたアイデアに対して、金一封というわけにはいくまい。ようするに売上が入る前にそれなりの人件費を割いていい程度には現金を保有している必要がある。
また、良かれと思った提案が「ガリガリ君ナポリタン味」なみの失敗を引き起こす可能性もある。それらのリスクを致命傷で抑えるためにも、やはり財務基盤が安定していなければならないと言える。

IT企業はなぜカイゼンができないか

よく知らないトヨタについて、書くのはいい加減疲れてきたので、IT業界に話を移そう。これらの視点をIT企業に当てはめるとどうなるだろうか?

  • 雇用の安定
    • 離職率高め、バンバン人やめるし、バンバン人出向させるのがIT企業
  • 年功序列
    • 大抵、たまたま会社が上手く行った時期にそこにいたメンバーが出世する。なので、ベンチャー系では大抵、上に行けば行くほどバカがいる。さらに技術的なトレンドの変化が激しすぎる為、エンジニアとして優秀な人が管理職になったとしても、持っている知識は10年前のままだったりする。
  • 財務基盤
    • そもそも装置産業ではないので資本金がすくない。売上は役員報酬になり、役員報酬は増資ではなく、社長のフェラーリに化ける。
  • リスク管理
    • 社長からしてたまたま上手く行ったことを自分の実力だと思っているので、失敗には容赦がない。簡単にクビにしたり、精神病になるまで詰めるのもこの業界の特徴である

というわけで、IT業界にカイゼンの入り込む余地はない。

ではどうすれば良いのか?ということを書きたいが長くなったので、それはまた次回。

最近の懺悔、夢日記について

前回のエントリを力を入れて書きすぎてしまった感があって(実際に亡くなった方がいる以上、真剣に書かねばならないのは当然の事ですが)
その勢いで書こうと思ったこともあったのですが、今回は特にテーマも決めずにダラダラすることにします。

ブログ読者という存在

2011年ぐらいのエントリを見て貰えばわかるのですが、昔の私にとってブログというのは、思いついたことを書く媒体の一つで、
ようするに「ウケ狙い」というか、当たりそうなものを狙って、実際に1日に2万アクセスぐらいを稼いで、それで満足するといった扱いでした。

なので、私は気分が高揚した時(ようするにほっといても文章がおもしろくなるタイミング)でしか文章を書かないことにしていて、文章が異様な憎悪にまみれていたりするのはそのせいだったりします(それが理由なのか、旧はてなダイアリー時代の当ブログは誰かのサブ垢だと思われていた節があります)

というわけで、私は継続的にブログを書くということは実はこれまで一度もしたことがなく、ここ2ヶ月ぐらいの更新ペースは自分としては驚くほどのハイペースなのです。


なんで今になって、アクセスも稼げないエントリを継続的に書いているのか、というところですが、もちろん単純に暇だから、というのが一番にあるのですが、このブログに目を通してくれる方々がいることが、GoogleAnalysticsなどの数値や、twitterやブクマやはてなスターなどのリアクションをくださる(半ば強制しているところもありますが)ことで可視化されて、自分の中に「読者」という存在が生まれてきたことが非常に大きな要因になっています。

以前は、大したアクセスもないのに、ブログを継続更新している人を見ると「暇なんだなあ」と思うだけだったりしましたが、今になってようやくわかったことは、「見てくれるだろう」という確信が頭にないとブログは書けないし、逆に言えば、「見てくれる人の存在」を自分が確信しているのであれば、それがどんなに少なく獏としたものであっても、「書く」という行為はできるのだ、ということです。人によっては当たり前の話なのかもしれないのですが、これは自分にとって、かなりの発見でした。

この気付きを得られただけでもブログをやった甲斐があったなあ、とも思うわけですが、まだ書きたいことが幾つか残っているので、読者の方におかれましては、しばらくお付き合いいただけると幸いです。

ちなみに、エントリのコメント欄を使って、自分でそのエントリのあとがきめいたものを書くというスタイルは、さすがに痛すぎることがわかってきたので辞めました。(そもそも上述の文章がその最たるものなのかもしれないのですけど)

夢日記

昔から目が覚めて夢の内容を覚えている時は、素早く付けっぱなしのPCとEmacsに向かって夢日記をつけることにしています。

夢を文章に残すメリットはほとんどないですし、精神衛生上やらないほうがいい、という説(?)もあるのですが、唯一おもしろいことがあるとすれば、夢の記憶というのはびっくりするぐらい消えやすいので、上手くすると夢日記に記述した文章ごと記憶から消えてくれることがあります。

つまり、自分だけど自分ではない存在が書いた文章が夢日記には綴られるわけで、たまに読み返すと自分が書いたとは思えない支離滅裂で不気味な文章(夢というものが往々にしてそうなので)が出てきて、新鮮な驚きを得ることができます。ある意味、質の悪い自慰行為ですね。

一つここで紹介します。

廃墟と子供たち

家で寝ていると、ドラムの音が聞こえてくる。
部屋の窓をあけると、隣の家で誰かがバンドの練習をしているのがわかる。

そこは、廃墟だと思っていた場所の2階にあるのだった。

あそこに人が住んでいることに興味を抱いた私は家を出て走り出す。

ずっと走っているうちに私は凶暴な登校拒否の女の子になっている。
知恵遅れの子供を追い抜いて、途中、男子生徒二人に会う。
「お前なんで学校こねえんだよ!」
と彼らは言う、心配しているふうではなく、単純に嫌がらせで聞いてくるのだ。
いやなところを見つかったと思った、私は蹴るふりをして彼らを脅かしてまた走り出す。

その建物は廃墟の団地の中庭の中にあった。

姉弟が中庭で大量の空き缶を洗っている。その傍には日傘を差した少女がいる。

私は近づいていき、近くの高い鉄棒に上る。

私に気づいた姉弟が手をとめて声をかけてくる。私は鉄棒の上で、彼らを見ている。
「お前いくつ?」
男の子が聞いてきたので、私は中学生だ。と答える。
男の子が少し試すような感じで、じゃんけんをしよう。と言いだす。
「俺チョキだからな」
私はチョキを出す。彼はパー。彼はさすがは中学生だと、いうふうに唸る。

私はおかしくなって少し笑う。お互いに名前をなのりあった後、私はここで何をしているのか?と聞く。

男の子が答える「ここに石油コンビナートを作ろうと思ってるんだ」

私はそれはなんて素敵な考えだろうと思った。

書いてしまってから他人の夢の話ほど退屈なものはない、と中島らもがよく言っていたのを思い出しました。

これから夢日記を書こうと思っている、ちょっと気が狂った方に幾つかアドバイ

  • まず、起きた瞬間から忘却の波がやってきますので、書き記す直前まで夢の内容を頭で反芻する必要があります。
  • 夢日記は時間との勝負です。だいたい起きてから30分以内に書けなければ、現実の論理が入り込みます。
  • 文章にする段になると、夢の非連続性(つじつまがあわない、場面の急展開など)が問題になるので、上手く処理する必要があります。
    • 夢の中で異様な知識を知っていることがありますが、書かないと筋が通りませんので「~という知識がある」などと表現すると良いです。
    • 辻褄が合わなくても、つながりそうなら、文章上の論理で強引につなげましょう。夢日記の目的は、異様な文章を残すことであって、夢の内容を正確に記すことではありません。
    • あまりにもつながらない場面は消してしまうのも手です。
    • この辺は慣れですので、最初は上手くいかなくてもそのうちなんとかなります。
  • 書けたら、速攻でテキストエディタを閉じて忘れましょう。夢日記は熟成させればさせるほどいい味が出ます。1年前の夢などほぼ全て忘れてしまっているので、かなり新鮮に読めます。読みすぎにも注意しましょう。
  • 夢日記を人に見せるのはやめたほうがいいです。

以上、ご参考まで。