megamouthの葬列

長い旅路の終わり

僕と先生について

はじめに断っておくと、僕は老朽化したアパートの一室にある壁の染みだ。
煙草の煙ですっかり黄ばんだ壁紙に染み付いた、見ようによっては人型に見えなくもない黒い影のようなもの、といった外見をしている僕は、普通考えられるとおり、人格を有してはいない。でも、この部屋の住人である「先生」が話しかけた事に返事をすることはできた。
なので、先生が部屋の隅で爪を噛みながら独り言をブツブツつぶやいている時や、くわえ煙草でキーボードを叩きながら悪態をついている時、僕はその能力を使って、その散文めいたフワフワした思索の欠片に疑問をなげかけたり、ちょっとした指摘をして、先生の思考の手伝いをしているというわけだ。

先生は常に何かを作っている。でも、それはいつもとりとめのないシステムの断片で終わってしまい、完成した「何か」を僕が見たことはなかった。
今日も、先生は新しいフレームワークチュートリアルを面倒そうに斜め読みしながらコードを書いている。ひと通り、と言ってもチュートリアルの最後から3番目ぐらいの手順を終えると、「なるほどね、そういうことか」と呟いて、乱暴に椅子の背もたれにもたれかかった。キャスター付きの椅子がその勢いでギィという音をたてても、先生は再びモニタを見上げることもなく、さっきまでやっていたことがまるで無意味だったという風で、机に乱雑におかれた娯楽小節を手に取ると、全てを忘れたように読み始めるのだった。

なにか作るんじゃないんですか?と僕が尋ねると、先生は小説から目を外さずに言った。「何かを完成させるというのは最悪の苦しみなのだよ。だから私は何も完成させないし、その気もない。」
そして、少し視点を本から外して「正確に言えば、私に縁がないのだよ。誰も私に求めていないし、何かを作ってあげる相手もいないからね」と言った。視線は僕ではなく、薄汚れた天井に向いているようだった。

先生は常に一人だった。昔はそうでもなかったようだし、プログラミングで金を稼いでいたこともあるらしいのだが、とにかく今は一人だった。先生以外の誰かが完成させてほしいと願わない限り、先生のエディタは、ビルドシステムは、今日も虚しく不完全なシステムを吐き出し続けている。至って平凡な不毛。

困ったことに僕には、それがとても純粋な行為に思えないこともないのだ。